■部屋伝統の四股名で堂々の活躍見せる
大相撲の世界には過去何十年にもわたり、脈々と受け継がれている伝統の四股名がある。新たに背負う力士には名前負けしないような結果が求められることになるが、名古屋場所で期待通りの活躍を見せたのが現在20歳の平幕・藤ノ川だ。
伊勢ノ海部屋の部屋付き親方・甲山親方(元幕内・大碇)の長男として知られる藤ノ川は、名門・埼玉栄高校から同部屋に入門し、2023年初場所で初土俵を踏んだ。翌春場所から10場所連続勝ち越しで新十両になると、その十両も4場所で早々に通過。名古屋場所で新入幕を果たすことになったが、この際に四股名をそれまでの「若碇」から「藤ノ川」へ改めた。
「藤ノ川」は明治時代ごろから伊勢ノ海部屋に伝わる非常に由緒ある四股名だ。その6代目となって名古屋場所に臨んだ藤ノ川は初日から2連敗と躓くも、3日目~7日目にかけ5連勝を記録。中日~11日目は1勝3敗と苦しんだが、12日目から千秋楽まで4連勝(不戦勝1含む)でフィニッシュ。新入幕場所でいきなり2ケタ10勝をマークし、自身初となる敢闘賞も受賞した。
藤ノ川は当初は父が現役時代に名乗った「大碇」を継承すると見られていたが、先代の伊勢ノ海親方(元関脇・4代目藤ノ川)の願いもあって6代目“襲名”に至ったという。次場所以降も、部屋伝統の四股名を輝かせるような活躍が期待されるところだが、それには先代・先々代の藤ノ川が屈した“26歳の壁”を乗り越える必要がある。
■先代・先々代はどちらも故障に泣く
本場所の年6場所制が定着した1958年以降、伊勢ノ海部屋では1961年~1972年にかけ4代目藤ノ川、1983年~1987年にかけ5代目藤ノ川が現役生活を送っている。両名はキャリアの期間に差があるが、どちらも26歳の若さで土俵を去っている。
4代目は1961年夏場所の初土俵から新入幕まで約5年を要したが、幕内では三役在位7場所(関脇2場所、小結5場所)、三賞7回(殊勲賞1回、技能賞4回、敢闘賞2回)、金星4個と大いに存在感を発揮した力士。新十両に昇進した1966年初場所から四股名を藤ノ川へ改めた。しかし、1971年名古屋場所で左腓骨骨折の大怪我を負い十両へ落ちると、幕内復帰2場所目の1972年秋場所で右足外踝部挫傷に見舞われ再び十両へ転落。これが決定打となり、翌九州場所前に引退を表明した。
5代目はアマチュア時代に17個ものタイトルを獲得した実績を引っ提げ、幕下付出として1983年春場所でデビュー。幕内を3場所、十両を9場所で通過すると、幕内3場所目の1985年名古屋場所から藤ノ川を名乗った。ところが、以前から抱えていた腰痛の影響もあり三役には届かないまま、1987年初場所で十両、翌春場所で幕下へ転落。四股名を本名の「服部」に戻すも再起はならず、同年名古屋場所限りで引退している。
■先代・先々代の二の舞避けるには?
6代目藤ノ川は身長が名古屋場所の幕内42名中38位(176センチ)、体重が41位(117キロ)とかなりの小兵ながら、鋭い出足から多彩な攻めを繰り出す相撲でここまで番付を上げてきた力士。ただ、体格で勝る力士を連日相手にするのは相応の負担もあるようで、今年初場所では左上腕二頭筋腱遠位断裂で途中休場を強いられている。
翌場所からは名古屋場所まで3場所連続勝ち越しをマークしているが、同場所4日目の平幕・琴勝峰戦では、取り直し判定となった最初の一番の後に左腕を気にするような素振りを見せていた。同箇所はもちろん、小兵力士にとっては生命線である下半身の故障をどう防いでいくかが今後のキャリアを左右することになるだろう。
また、これまでと同様に積極的に前に出る相撲を継続、徹底していくことも重要といえる。逆に受け身の相撲が増えてくるようだと、身体に大きな負担がかかるような体勢に陥る場面も増え、結果として致命的な故障に見舞われる展開もゼロではない。
西前頭14枚目だった名古屋場所で10勝を挙げたため、次の秋場所は西前頭9枚目前後まで番付が上昇する見込みの藤ノ川。現段階では三役昇進を最大の目標だというが、先代・先々代を超えるような活躍を見せていくことはできるだろうか。
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