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FIFAワールドカップ最多優勝選手は誰? 複数回優勝を果たしたレジェンドの記録

David Suggs

浄見耕志 Koushi Kiyomi

FIFAワールドカップ最多優勝選手は誰? 複数回優勝を果たしたレジェンドの記録 image

ワールドカップは、世界中に歓喜をもたらすサッカーの祭典だ。それは子どもたちのものでもあり、働く人々のものでもあり、名もなき人々のものでもある。ボールが足元に収まった瞬間、誰もが思わず体を動かしてしまう。そんな大衆のための大会だ。

一方で、サッカーという競技の最高峰であるこの大会は、個の力によっても彩られてきた。偉大な選手たちは、それぞれのスタイルと感性でボールを操り、試合に独自のリズムを刻んできた。

しかし、そうした輝きを放ちながらも、ワールドカップ優勝に手が届かなかった名選手は少なくない。フェレンツ・プスカシュ、エウゼビオ、ヨハン・クライフ、マルコ・ファン・バステン、ジョージ・ウェア、いずれも歴史に名を刻んだ存在だが、ワールドカップのトロフィーを掲げることは叶わなかった。

ワールドカップで優勝すること自体が、極めて困難だ。ましてや、それを複数回成し遂げるとなれば、なおさらである。

では、そんな偉業を達成したのはどの選手なのか。そして、ワールドカップ史上で最も多くのタイトルを手にしているのは誰なのだろうか。

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ワールドカップ最多優勝を誇る選手は誰か

ワールドカップを複数回制した選手の顔ぶれを見ると、ブラジル人選手が数多く並ぶ。サッカー大国としての歴史と実力を考えれば、不思議ではないだろう。

その中でも、頂点にただ一人君臨する存在がペレだ。彼は輝かしいキャリアの中で、ワールドカップのトロフィーを3度も手にしている。

ペレは1958年大会で17歳にして主役となり、ワールドカップ決勝に出場した史上最年少選手となった。決勝の相手はスウェーデン。2ゴールを挙げたペレは、そのうちの1点で相手DFの頭上にボールを浮かせてから、鋭くゴール隅へ流し込むという印象的なプレーを披露した。

その後も1962年大会、1970年大会で優勝を経験。ただし1962年大会は負傷の影響もあり、出場は2試合にとどまっている。

複数回優勝を果たした選手は、ほかにも多くのブラジル代表に名を連ねる。1962年大会でゴールデンボールを受賞したガリンシャもその一人だ。さらに、1994年と2002年の優勝メンバーとしてセレソを率いたカフーとロナウドも、複数回優勝者に名を連ねている。

このほか、1934年と1938年に連覇を達成したイタリア代表(アズーリ)からは、4人の選手がリスト入りしている。ブラジル人、イタリア人以外で2度の優勝を経験した唯一の存在が、ダニエル・パサレラだ。彼はリベロとして、アルゼンチン代表の1978年大会と1986年大会の優勝に貢献した。

以下では、キャリアの中でワールドカップを2度以上制した選手たちを一覧で紹介する。

順位選手ポジション優勝回数優勝年
1ペレブラジルFW3回1958年、1962年、 1970年
2ベリーニブラジルDF2回1958年、1962年
 カフーブラジルDF2回1994年、2002年
 カスティーリョブラジルGK2回1958年、1962年
 ジョバンニ・フェラーリイタリアMF2回1934年、1938年
 ガリンシャブラジルFW2回1958年、1962年
 ジウマールブラジルGK2回1958年、1962年
 グイド・マゼッティイタリアGK2回1934年、1938年
 マウロブラジルDF2回1958年、1962年
 ジュゼッペ・メアッツァイタリアFW2回1934年、1938年
 エラルド・モンゼーリオイタリアDF2回1934年、1938年
 ニウトン・サントスブラジルDF2回1958年、1962年
 ダニエル・パサレラアルゼンチンDF2回1978年、1986年
 ペペブラジルFW2回1958年、1962年
 ロナウドブラジルFW2回1994年、2002年
 ババブラジルFW2回1958年、1962年
 マリオ・ザガロブラジルFW2回1958年、1962年
 ジトブラジルMF2回1958年、1962年
 ゾジモブラジルDF2回1958年、1962年

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ワールドカップ3度制覇を成し遂げたペレ

Pele 1960

  • ワールドカップ優勝回数: 3回
  • 優勝年: 1958年、1962年、1970年
  • 決勝の対戦相手: スウェーデン(1958年)、チェコスロバキア(1962年)、イタリア(1970年)
  • ワールドカップ通算得点: 12得点

ペレは、ワールドカップ史上で最も多くの優勝を経験した選手だ。ただし、その評価をめぐっては、いまなお議論の余地が残されている。

1958年大会、ストックホルムで迎えたワールドカップ初出場の舞台で、当時17歳だったペレは強烈な存在感を放った。若き背番号10は大会で6ゴールを挙げ、相手守備網を次々と切り裂きながら、一躍“世界最高の選手”として注目を集める存在となった。

1962年大会でも、ペレは好調なスタートを切る。初戦のメキシコ戦では、4人のDFをかわして冷静にゴールへ流し込む圧巻の一撃を披露した。しかし第2戦で負傷を負い、その後の試合には出場できず、大会から事実上離脱することとなった。

代わって主役となったのがガリンシャだ。彼は大会最優秀選手に輝き、ブラジルは決勝でチェコスロバキアを下して連覇を達成している。

当時は、ワールドカップ決勝に出場した選手にしか優勝メダルが授与されない規定だった。そのため、決勝に出場していなかったペレは、当初この1962年大会の優勝メンバーとは見なされていなかった。だが1978年にFIFAが規定を改定し、登録メンバー全員にメダルが授与されることとなったことで、ペレも1962年大会の優勝者として正式に認定されている。

1966年大会でのポルトガル戦敗退後、一時は「二度とワールドカップには出ない」とまで語っていたペレ。しかし1970年大会で代表復帰を果たすと、メキシコシティのアステカ・スタジアムで再び輝きを放った。大会を通じて4ゴールを記録し、決勝のイタリア戦では、高く跳び上がって放ったヘディングシュートでゴールネットを揺らしている。

大舞台に強いことで知られるペレは、決勝でさらに2アシストを記録。ブラジルは4-1で勝利し、3度目の世界制覇を成し遂げた。ペレ自身も、この大会でキャリア2度目となる大会最優秀選手に選ばれた。

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ロナウドが誇るワールドカップ2度の優勝

GettyImages

  • ワールドカップ優勝回数: 2回
  • 優勝年: 1994年、2002年
  • 決勝の対戦相手: イタリア(1994年)、ドイツ(2002年)
  • ワールドカップ通算得点: 15得点

類まれな才能を持つストライカー、ロナウド・ナザーリオは、1994年大会でワールドカップを制したブラジル代表の一員だった。当時17歳だったロナウドは出場機会こそなかったものの、スター揃いの代表メンバーに名を連ねていたこと自体が、近い将来の飛躍を予感させるものだった。

その予感が現実となったのが、1998年大会である。「フェノーメノ(怪物)」の愛称で知られるロナウドは、ゴール前での強さと巧みな駆け引きを武器にブラジルを決勝へ導いた。大会では4ゴールを記録し、フランスとの決勝でもセレソンを優勝へ導く存在になるかに思われた。

しかし決勝前に体調を崩し、本来の動きを見せることができなかったロナウド。ブラジルはフランスに0-3で敗れ、悲願の優勝はならなかった。

その悔しさを晴らしたのが、2002年大会である。ロナウドは大会通算8ゴールを挙げ、決勝のドイツ戦でも2得点を記録。名GKオリバー・カーンを擁するドイツを2-0で下し、ブラジルを5度目の世界制覇へと導いた。

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マラドーナが誇るワールドカップ制覇

El Grafico/Getty Images

  • ワールドカップ優勝回数: 1回
  • 優勝年: 1986年
  • 決勝の対戦相手: 西ドイツ
  • ワールドカップ通算得点: 8得点

卓越したバランス感覚と軽やかなステップ、そして洗練された左足で観衆を魅了したディエゴ・マラドーナは、「人民の英雄」と称された存在だった。ウルグアイの著名なジャーナリストで作家のエドゥアルド・ガレアーノは、マラドーナを「短い脚を持つ雄牛。ボールが足に縫い付けられているかのようで、全身に目がついている」と表現している。

マラドーナはキャリアを通じて、アルゼンチン代表を2度のワールドカップ決勝へ導いた。その中でも1986年大会は、彼の名を永遠に刻む大会となった。準々決勝のイングランド戦では、スター選手が揃う相手を前に、後世まで語り継がれる2ゴールを叩き込んでいる。

1点目は物議を醸したゴールだった。ピーター・シルトンの手の届かない位置へ、明らかに拳でボールを押し込んだこの得点は、「神の手」として知られている。

だが、2点目は誰の目にも疑いようがないものだった。その4分後、マラドーナはイングランドの堅守を切り裂き、ピーター・ビアズリー、ピーター・リード、テリー・ブッチャー、テリー・フェンウィック、そして再びブッチャーをかわし、最後はシルトンを抜き去ってゴールへ流し込んだ。

このゴールは「世紀のゴール」と呼ばれ、見る者によっては至高の瞬間、あるいは狂気の産物とも受け取られた。その背景には、1982年に起きたフォークランド紛争という重い歴史がある。アルゼンチンとイギリスの間で戦われたこの戦争では、アルゼンチン兵649人、イギリス兵255人、そしてフォークランド諸島の住民3人が命を落としている。

試合後、マラドーナは次のように語っている。

「試合前は、サッカーとマルビナス戦争は関係ないと言っていた。でも、彼らが多くのアルゼンチンの若者を殺したことを、僕たちは知っていた。まるで小鳥を撃つようにだ。これは復讐だった」(Goal.comより)

マラドーナは準決勝のベルギー戦でも2ゴールを記録。決勝の西ドイツ戦では自ら得点こそなかったものの、ホルヘ・ブルチャガの決勝点を演出する決定的なパスを供給し、アルゼンチンを優勝へと導いた。

しかし4年後の1990年大会では、西ドイツが決勝でアルゼンチンに1-0で勝利。物議を醸すPKによる決着だった。試合終了の笛が鳴った瞬間、マラドーナはピッチ上で涙を流している。

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メッシがついに手にしたワールドカップ制覇

Getty Images

  • ワールドカップ優勝回数: 1回
  • 優勝年: 2022年
  • 決勝の対戦相手: フランス
  • ワールドカップ通算得点: 13得点

リオネル・メッシは、サッカー史上最高の才能の一人と評される存在だ。ワールドカップの舞台でもその真価を発揮し、5大会で通算13ゴールを記録している。

2014年大会では、アルゼンチン代表はあと一歩で頂点に届かなかった。決勝でドイツと対戦し、延長戦の末にマリオ・ゲッツェのゴールを許して敗戦。リオデジャネイロの地で涙をのむ結果となった。

そのメッシが、ついに栄冠を手にしたのが2022年大会だ。大会では7ゴールを挙げ、得点ランキングでは2位の成績を残している。

決勝のフランス戦では、その存在感が際立った。前半にPKで先制点を奪うと、延長戦でもこぼれ球を押し込み、この試合で2ゴールを記録。さらにPK戦でも成功させ、アルゼンチンを世界王者へと導いた。この一戦は、サッカー史上最高の試合の一つとも称されている。

大会を通じた活躍が評価され、メッシはゴールデンボールを受賞。これは自身2度目の受賞であり、この個人賞を複数回獲得した唯一の選手となった。

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C・ロナウド、いまだ届かぬワールドカップの栄冠

Cristiano Ronaldo durante jogo contra a Dinamarca pela Nations League

  • ワールドカップ優勝回数: 0回
  • 優勝年:
  • 決勝の対戦相手:
  • ワールドカップ通算得点: 8得点

数々のゴールと輝かしい実績を積み重ねてきたクリスティアーノ・ロナウドだが、ポルトガル代表としてワールドカップ優勝を成し遂げたことは、いまだない。また、栄冠に手が届くところまで迫った大会も多くはなく、ロナウド時代におけるポルトガル代表の最高成績は、2006年大会の4位にとどまっている。

それでも、代表としてのタイトルがないわけではない。ロナウドはUEFA EURO 2016で中心選手として活躍し、ポルトガルを初の主要国際タイトル獲得へと導いた。ただし決勝では負傷の影響で途中交代を余儀なくされている。

ロナウドはこのEURO 2016制覇について、「キャリアの中でも最も幸せな瞬間の一つ」「すべてのポルトガル人にとって特別で、唯一無二の瞬間だ」と語っている。

それでもなお、彼が追い求め続けているのがワールドカップという“究極の栄冠”だ。2026年大会は、ロナウドにとって最後の挑戦となる可能性が高く、そのキャリアの締めくくりとして、最大の勲章を手にできるかが注目されている。

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エンバペが刻むワールドカップ制覇

Kylian Mbappe France Francia 2025

  • ワールドカップ優勝回数: 1回
  • 優勝年: 2018年
  • 決勝の対戦相手: クロアチア
  • ワールドカップ通算得点: 12得点

キャリアの全盛期を迎えているキリアン・エンバペは、将来的にワールドカップ史上最多得点者になる可能性を秘めた存在だ。2018年大会でワールドカップ初出場を果たすと、フランス代表の中心選手として躍動し、ロシアの地で世界制覇を成し遂げた。

この大会でエンバペは6ゴールを記録。10代でワールドカップ6得点に到達した選手は、1958年大会のペレとエンバペの2人しかいない。

さらに2022年大会では、その存在感を一段と高めた。大会通算8ゴールを挙げて得点王に輝き、決勝ではハットトリックという歴史的な活躍を披露。フランスは準優勝に終わったものの、エンバペは大会を通じて圧倒的なインパクトを残している。

通算得点でも着実に数字を積み上げ、ワールドカップ歴代最多得点記録を持つ元ドイツ代表のミロスラフ・クローゼの記録更新が、現実的な視野に入ってきた。

関連記事:2026年FIFAワールドカップの賞金はいくら? 優勝賞金・分配額を解説

頂点に届かなかった最多出場選手

イタリアのパオロ・マルディーニは、ワールドカップ優勝を経験することなく、最多出場を記録した選手として知られている。サッカー史上最高のディフェンダーの一人と評価されるマルディーニは、4大会のワールドカップに出場し、通算23試合に出場した。

しかし、マルディーニが守備の要として君臨した時代に、イタリアが世界の頂点に立つことはなかった。1994年大会では決勝まで進んだものの、ブラジルにPK戦の末に敗れ、あと一歩で栄冠を逃している。

2002年大会後、開催国・韓国に物議を醸す形で敗れたことを受け、マルディーニは代表引退を決断。その後、アズーリは2006年大会でフランスをPK戦で下し、ワールドカップ制覇を成し遂げた。

ワールドカップ最多勝利数を誇る選手

ミロスラフ・クローゼは、ワールドカップ史上で最多勝利数を誇る選手だ。ドイツ代表として2002年、2006年、2010年、2014年の4大会に出場し、通算17勝を挙げている。

長身ストライカーとして知られるクローゼは、出場したすべてのワールドカップで最低でも3位以上の成績を残しており、その安定した勝負強さも特筆すべき点と言える。

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原文:Most World Cup wins by player: Pele, Ronaldo top list of soccer stars with multiple FIFA championships
翻訳・編集:浄見耕志(スポーティングニュース日本版)

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