2025年9月、ひとりのNBAレジェンドが日本にやってくる。1990年代に稀代のシューターとして名を馳せたマクムード・アブドゥル・ラウーフだ。自らの経験と哲学を日本の若い世代に伝えるべく、トークイベントとクリニックが開催される。
NBAの歴史の中で、時代にぴったりとハマる選手もいれば、早すぎてその才能が理解されない選手もいる。アブドゥル・ラウーフはまさに後者だった。驚異的なスピードと滑らかなボールハンドリング、無限に広がるシュートレンジ。彼は「ステフィン・カリーの先駆者」と言える存在だった。ディフェンダーが反応する前にジャンパーを放ち、想像できない位置からのディープスリー(3ポイントショット)、ドリブルからの素早いプルアップで得点を重ねた。
時代を先取りした異才
ミシシッピ州ガルフポート出身のクリス・ジャクソン(後にマクムード・アブドゥル・ラウーフに改名)が、全米的にも注目される存在となったのは大学時代だ。名門LSU(ルイジアナステイト大学)で、新入生ながら平均30.2得点をマーク。2年生時にはシャキール・オニール(シャック)やスタンリー・ロバーツという強力なビッグマンがチームメイトにいながらも、チームのスターは間違いなくラウーフだった。
当時、シャックとボールシェアについて議論になった際、ヘッドコーチからは「シャック、これは彼のチームだ。ボールが欲しいならリングから奪い取れ」と伝えられたほどだと、ラウーフは筆者とのインタビューで語ってくれた。
1990年、彼はデンバー・ナゲッツから全体3位指名を受けてNBA入りを果たす。入団初期こそ、フィジカルで対抗するための体重増加が逆にプレーに影響してしまうなど、カテゴリーアップに苦しんだものの、リーグ3年目には平均19.2得点、4.2アシストを記録するなど目覚ましい活躍を見せ、最優秀躍進選手賞(MIP)を受賞した。
1996年2月4日(日本時間5日)、アブドゥル・ラウーフは、そのシーズン最終的に72勝10敗という圧倒的成績を残したマイケル・ジョーダン率いるシカゴ・ブルズを相手に32得点をあげ、シーズン最大級のアップセット(大番狂せ)をもたらす立役者となった。
当時のNBAはまだポストアップやミッドレンジ中心だったが、アブドゥル・ラウーフは脅威のシュート力を武器に、当時では考えられない距離、考えられないステップから3Pショットを決め続けていたのだ。
苦難と信念のキャリア
こうして見ると、アブドゥル・ラウーフが順風満帆なキャリアを送ったかのように見えるが、決してそうではない。むしろ、苦難の多いキャリアだったと記憶している当時のファンも多いだろう。
まず、彼は幼い頃からトゥレット障害(チック症)を抱えていた。本人の意図に反して、まばたきや顔をしかめる、首を傾げるなど不規則な動作が繰り返される症状が出る。スポーツには明らかに不向きとされる症状でありながらも、彼はそれを乗り越えてリーグ入りしている。先述した体重増加も「薬の副作用によるものだった」と当時を振り返った。
本人はむしろ、自らのチック症を「スーパーパワー」であると語る。ひとつのことを集中して繰り返してしまう習性を逆に練習に取り込み、それが自身のスキルアップにつながったというのだ。
そして、最も大きな逆境となったのが国歌斉唱の起立拒否である。1996年3月、ジョーダン相手に素晴らしい活躍を見せてからわずか1か月後、イスラム教徒としての信念と「国旗は抑圧の象徴」という考えに基づき、アブドゥル・ラウーフは試合前の国歌斉唱で起立することを拒んだ。世間からの反発は凄まじく、NBAからは「起立するまで出場停止」とする処分が下された。実際に出場停止となったのは1試合のみだったが、復帰後も国歌斉唱中は下を向いて目を閉じ、両手のひらを顔に向けて祈りを捧げるという行動を続けた。
ファンからはブーイング、メディアからは「非愛国的」とバッシングされ続けた。その後、ナゲッツからキングスへとトレードされ、2年以内にNBAを去ることとなる。

日本との縁、そして未来へ
アブドゥル・ラウーフのキャリアは甘くもあり、苦くもある。現代のNBAでプレイしていたとしてもオールスター級の才能を持ちながら、信念のためにすべてを犠牲にする勇気も持っていた。しかし、ジョーダンのブルズを打ち負かしたあの夜のように、彼は単なる時代の先取りではなく、コート上で最高の選手になれることを示していたのは事実だ。
数十年後、彼の抗議行動は反抗ではなく勇気として評価される。NFLのコリン・キャパニックが2016年に国歌斉唱中に膝をついて抗議をした際、アブドゥル・ラウーフの当時の行動が引き合いに出された。時代によってその評価は変わる。アブドゥル・ラウーフは「当時の社会情勢的に、自分の行動は受け入れられるものではなかった」と振り返った。
NBAキャリアこそ短縮されてしまったが、アブドゥル・ラウーフはその後も海外でバスケットボールキャリアを継続した。2009年にはbjリーグの京都ハンナリーズに入団し、2シーズンをプレイ。本人もその2年間を「とても大切なもの」と語り、ファンからの「素晴らしい愛と感謝」を理由に挙げている。
京都を最後に5人制のプロキャリアを終えたものの、その後も50歳を過ぎるまで3人制リーグのBIG3で活躍し、精力的にバスケットボール活動を続けた。そして現在はクリニックの開催やコーチング、講演会などを積極的に行っている。
類まれなるスキル、そして屈しない信念を持って多くを魅了してきたアブドゥル・ラウーフ。その精神は今もなお生き続けている。
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