ニックスはNBAで最も名高いブランドの1つとして長い歴史があり、数々のスター選手がマディソン・スクエア・ガーデンでプレイし、青とオレンジのユニフォームに袖を通してきた。
それでも、高いレベルでの勝利は難しい。ニックスは1973年以来優勝しておらず、何度か優勝に近づいたが、なかなか頂点に返り咲くことができなかった。
ニックスを高みへと導いたスター選手たちと、そこに到達できなかったがニックスに全力を尽くした選手たちを紹介する。
Sporting Newsが、パトリック・ユーイングからジェイレン・ブランソンまで、ニックス史上最高の選手11人をランク付けする。
※選手は9つのカテゴリーからなるポイントシステムに基づいてランク付けされた。各選手の特定のカテゴリーにおける評価に応じて1~10の点数がつけられ、それを合計したものが最終的な得点となる。
11位:アラン・ヒューストン (1996-2005)

ニックスでの実績
- 11,165得点
- オールスター2回
- NBAファイナル出場1回
選出理由
アラン・ヒューストンは、1994年にニックスがNBAファイナル進出に進出した際はチームに居なかったが、1996年にチームに加わり、1990年代後半から2000年代前半まで、優勝候補であり続けたニックスの原動力の一人となった。
ニューヨークでの9シーズンでオールスターに2度選出され、1試合平均20得点以上を2度記録し、1998-99シーズンには、ニックスのNBAファイナル進出に貢献した。プレイオフでは、レギュラーシーズンよりも平均2点多く得点し、優勝経験こそないものの、素晴らしい活躍を見せた。
ニックスでの位置付け
殿堂入りを果たしたわけではなく、30代半ばに膝の怪我でキャリアを断たれたヒューストンだが、フランチャイズの黄金時代のひとつで勝利に貢献した彼の功績はレガシーとして残っている。
項目 | 点数 |
在籍期間 | 6 |
オフェンス | 6.5 |
ディフェンス | 3 |
受賞歴 | 4.5 |
プレイオフでの成績 | 6.5 |
全盛期のパフォーマンス | 6.5 |
健康 | 7.5 |
フランチャイズ記録 | 1 |
チームカルチャーへの影響力 | 5 |
栄誉 | 2 |
合計 | 46.5 |
10位:ジョン・スタークス(1990-98)

ニックスでの実績
- 8,489 得点
- 2,394アシスト
- オールスター1回
- シックスマン賞
- NBAファイナル出場1回
選出理由
スタークスは決して得点で相手ディフェンスを苦しめるタイプの選手ではなかったが、1990年代のニックスのバックコートでは、代えの利かない司令塔であり、チームの潤滑油だった。
強力なプレイメイカーであり、ディフェンダーでもあったスタークスは、ブルズと対戦したときには、マイケル・ジョーダンのディフェンスというタフな仕事を任された。スタークスは1994年に優勝まであと1勝に迫ったチームの一員だったが、タイトルを獲得することはなかった。
ニックスにおける位置付け
スタッツ映えするプレーヤーではないものの、ニックスの黄金時代に安定した働きを見せたスタークスは、ファンに愛された。
項目 | 点数 |
在籍期間 | 5.5 |
オフェンス | 4.5 |
ディフェンス | 6 |
受賞歴 | 4 |
プレイオフでの成績 | 6.5 |
全盛期のパフォーマンス | 5.5 |
健康 | 9 |
フランチャイズ記録 | 2 |
チームカルチャーへの影響力 | 6.5 |
栄誉 | 2 |
合計 | 51.5 |
9位:ビル・ブラッドリー(1967-77)

ニックスでの実績
- バスケットボール殿堂入り
- NBAチャンピオン2回
- オールスター1回
- 9,217得点
- 2,533アシスト
選出理由
ビル・ブラッドリーは10年間のNBAキャリア全てをニックスで過ごし、プレイオフに8度進出、1970年と1973年の優勝に貢献した。チームの中心選手となることはなかったが、在籍中は効率的な得点源であり、素晴らしいフリースローのシューターでもあった。ブラッドリーはニックスでプレイオフ通算1,222得点を記録し、そのうちの17得点は1970年のGAME7、20得点は1973年のGAME5でのものである。
ニックスにおける位置付け
ブラッドリーは、1960年代後半から1970年代前半にかけてのニックスのプレイオフでの成功の立役者であった。コート外では、1979年から1997年までニュージャージー州選出の連邦上院議員という異色の経歴を持つ。
項目 | 点数 |
在籍期間 | 6.5 |
オフェンス | 3.5 |
ディフェンス | 2.5 |
受賞歴 | 4 |
プレイオフでの成績 | 9 |
全盛期のパフォーマンス | 5 |
健康 | 9 |
フランチャイズ記録 | 1 |
チームカルチャーへの影響力 | 2.5 |
栄誉 | 9 |
合計 | 52 |
8位:バーナード・キング (1982-87)

ニックスでの実績
- バスケットボール殿堂入り
- オールスター2回
- 得点王(1984-85)
- ニックスの1試合平均得点ランキング1位
- オールNBA2回
選出理由
キングがニックスで過ごした期間は短く、5年間をニューヨークで過ごしたが、ケガのために4年間しかプレイできなかった。キングが1984-85シーズンに記録した1試合32.9得点は、今でもニックスの記録として残っており、1983-84年にはMVP投票で2位、オールNBA1stチーム入りも果たした。ニックスはキングと共にカンファレンス決勝に進出することはなく、キングも1985-86年と1986-87年のほとんどを怪我で棒に振った。
ニックスにおける位置付け
ニックスで健康にプレイできたのは3シーズンだけだったため、彼の歴代ランキングは下がってしまったが、キングの全盛期はニックスの歴史の中でも輝いている。
項目 | 点数 |
在籍期間 | 3.5 |
オフェンス | 8 |
ディフェンス | 3 |
受賞歴 | 7 |
プレイオフでの成績 | 4 |
全盛期のパフォーマンス | 9 |
健康 | 4 |
フランチャイズ記録 | 5 |
チームカルチャーへの影響力 | 6.5 |
栄誉 | 5 |
合計 | 55 |
7位:カーメロ・アンソニー(2011-17)

ニックスでの実績
- バスケットボール殿堂入り
- オールスター7回
- 10,186得点
- 得点王(2012-13)
- オールNBA1回
選出理由
ニックスは2011年、トレード・デッドラインで待望のカーメロ・アンソニーを獲得し、フランチャイズに活気を取り戻した。この生粋のニューヨーカーは、62得点というニックスの1試合得点記録を樹立し、10年間低迷していたニックスを3年連続プレイオフ出場へと導くなど、全盛期にはアンストッパブルなオフェンシブショーを披露した。アンソニーは2012-13シーズンには得点王となり、ニックスを東第2シードに導き、MVP投票で3位に入った。
ニックスにおける位置付け
アンソニーがニックスに在籍した7シーズンは、プレイオフでの本格的な成功から遠ざかり、彼のディフェンスに対する懸念は無視できないものだった。それでも、アンソニーはニックスに在籍した各シーズンでオールスター選手として活躍し、ニックスに10年以上なかったオフェンシブな才能をもたらした。
項目 | 点数 |
在籍期間 | 6 |
オフェンス | 8 |
ディフェンス | 3 |
受賞歴 | 6 |
プレイオフでの成績 | 5 |
全盛期のパフォーマンス | 8 |
健康 | 7 |
フランチャイズ記録 | 3.5 |
チームカルチャーへの影響 | 7.5 |
栄誉 | 5 |
合計 | 55 |
6位:アール・モンロー(1971-80)

ニックスでの実績
- バスケットボール殿堂入り
- NBAチャンピオン1回
- オールスター2回
- 9,679得点
- 3,594アシスト
選出理由
モンローは2度のニックスの優勝のうち、1973年の優勝に貢献しただけだったが、この10年間チームを代表する選手の一人だった。全盛期には数々のハイライトプレイを生み出す派手なガードだったモンローは、ブレッツでキャリアをスタートさせた後、ニックスで10年近くを過ごし、すぐに重要なピースとして定着した。膝の故障により、モンローのキャリアは30代半ばで幕を閉じたが、ニックスでは永久欠番となり、バスケットボール殿堂入りを果たした。
ニックスにおける位置付け
モンローは1973年の優勝チームの中心選手で、1974-75年と1976-77年にはオールスターに出場し、ニックスを次の時代へと導いた。
項目 | 点数 |
在籍期間 | 6 |
オフェンス | 5.5 |
ディフェンス | 4 |
受賞歴 | 3.5 |
プレイオフでの成績 | 7 |
全盛期のパフォーマンス | 6.5 |
健康 | 7 |
フランチャイズ記録 | 1 |
チームカルチャ―への影響力 | 5.5 |
栄誉 | 9 |
合計 | 55.5 |
5位:デイブ・デブッシャー(1968-74)

ニックスでの実績
- バスケットボール殿堂入り
- NBAチャンピオン2回
- オールスター5回
- オールNBAディフェンシブ1st5回
- 6,957得点
- 4,671リバウンド
選出理由
1969年にピストンズからニックスに移籍したデイブ・デブッシャーは、ニックスで過ごしたのは6シーズンだけだったが、1970年と1973年に優勝を果たしたチームの重要なピースとして、確実にその名を刻んだ。デブッシャーは、ディフェンス面で確固たる地位を築き、ニックスでの6シーズンのうち5シーズンでオールNBAディフェンシブ1stチームに選出され、MVP投票では3度トップ11に入った。ニックスに在籍していた間、彼は驚異的な耐久力を維持し、チームが毎シーズン少なくともカンファレンスファイナルに進出するのに貢献した。
ニックスにおける位置付け
デブッシャーはニックスの記録を塗り替えるほど長くは在籍せず、どちらの優勝チームでも得点王にはなれなかったが、2つのタイトルを獲得した1970年代前半のニックスにとって、かけがえのない存在だった。
項目 | 点数 |
在籍期間 | 4 |
オフェンス | 4 |
ディフェンス | 8.5 |
受賞歴 | 6 |
プレイオフでの成績 | 9 |
全盛期のパフォーマンス | 5.5 |
健康 | 9 |
フランチャイズ記録 | 1 |
チームカルチャ―への影響力 | 3 |
栄誉 | 9 |
合計 | 59 |
4位:ジェイレン・ブランソン(2022-)

ニックスでの実績
- オールスター2回
- オールNBA2nd1回
- 5,535得点
- 1,415アシスト
選出理由
ジェイレン・ブランソンのニックスでのキャリアはまだ終わっていないが、フランチャイズ史上最もインパクトのある選手の一人としてすでに頭角を現している。2018年にマーベリックスから2巡目指名を受けたにもかかわらず、ブランソンはNBAでの役割を獲得し、ニックスでは瞬く間にチームの顔へと上り詰めた。ニックスは10年間プレイオフシリーズで勝利がなかったが、ブランソンは2023年、2024年、2025年にニューヨークをシリーズ制覇に導き、ニックスを四半世紀ぶりにカンファレンスファイナルに導いた。
ニックスにおける位置付け
ニックスに移籍してからの3シーズンのうち2シーズンは1試合平均26得点以上を記録し、2023-24シーズンのMVP投票では5位に入った。彼はまた、ニックスが競争力のあるロースターを編成できるように、チームフレンドリーな契約延長をした。ブラソンがニックスで過ごす時間は、まだ終わっていないが、彼がニックスに残した功績はすでに永久的なものだ。
項目 | 点数 |
在籍期間 | 4.5 |
オフェンス | 8 |
ディフェンス | 4.5 |
受賞歴 | 4.5 |
プレイオフでの成績 | 6.5 |
全盛期のパフォーマンス | 8 |
健康 | 8 |
フランチャイズ記録 | 3 |
チームカルチャ―への影響力 | 7.5 |
栄誉 | 5 |
合計 | 59.5 |
3位:ウィリス・リード (1964-74)

ニックスでの実績
- バスケットボール殿堂入り
- NBAチャンピオン2回
- MVP (1969-70)
- NBAファイナルMVP2回
- オールスター7回
- 新人王
- オールNBA5回
- 12,183得点
- 8,414リバウンド
ニックスでの実績
ウィリス・リードの全盛期は怪我の影響で7シーズンほどだったが、その7シーズンでニックスの伝説となった。1964年の2巡目指名で入団した彼は、最初の7シーズンでオールスターに選出され、1969-70シーズンにはMVPを獲得し、オールNBAの栄誉に5回輝いた。リードは優れたリバウンダーで、6シーズンで1試合平均13本以上を記録し、1968-69シーズンには1,191本というニックスの1シーズンリバウンド記録を打ち立てた。
ニックスにおける位置付け
リードはニックスを2度の優勝に導き、1970年のNBAファイナル第7戦では太ももの大怪我を押してプレーし、レイカーズとのGAME7でチームを奮起させたことは有名である。彼は1982年にバスケットボールの殿堂入りを果たし、マディソン・スクエア・ガーデンでは彼の19番のジャージが掲げられている。
項目 | 点数 |
在籍期間 | 7 |
オフェンス | 7.5 |
ディフェンス | 6 |
受賞歴 | 8 |
プレイオフでの成績 | 9 |
全盛期のパフォーマンス | 8 |
健康 | 4.5 |
フランチャイズ記録 | 3 |
チームカルチャ―への影響力 | 7.5 |
栄誉 | 9 |
合計 | 69.5 |
2位:パトリック・ユーイング (1985-2000)

ニックスでの実績
- バスケットボール殿堂入り
- オールスター11回
- オールNBA7回
- オールNBAディフェンシブ3回
- 23,665得点
- 11,607リバウンド
- 得点、リバウンド、スティール、ブロック、出場試合数でニックス歴代1位
選出理由
ニックスは1985年、フランチャイズの顔としてパトリック・ユーイングをドラフト1位で指名し、彼はニックスで15年間活躍した。1994年、ニックスはタイトルまであと1勝に迫ったが、結局タイトルを獲得することはできなかった。プレイオフでの成功はさておき、ユーイングはニックスに新たな黄金時代をもたらし、15シーズンで13回プレーオフに進出し、ニックスでのキャリアで1試合平均22得点、10リバウンド以上のダブルダブルを記録した。
ニックスにおける位置付け
ユーイングはオールスターに11回、オールNBAに7回選出された。MVP投票では7回トップ5入りを果たし、得点、リバウンド、スティール、ブロック、出場試合数など、ニックスの数々の記録を保持している。
項目 | 点数 |
在籍期間 | 9 |
オフェンス | 8 |
ディフェンス | 7 |
受賞歴 | 5.5 |
プレイオフでの成績 | 7 |
全盛期のパフォーマンス | 8 |
健康 | 7.5 |
フランチャイズ記録 | 8 |
チームカルチャ―への影響力 | 7.5 |
栄誉 | 9 |
合計 | 76.5 |
1位:ウォルト・フレイジャー (1967-77)

ニックスでの実績
- バスケットボール殿堂入り
- NBAチャンピオン2回
- オールスター7回
- オールNBA6回
- オールNBAディフェンシブ7回
- 14,617得点
- 4,598リバウンド
- 4,791アシスト
- アシスト数、トリプルダブル数でニックス歴代1位
選出理由
NBAで最もエキセントリックなキャスターになる前、ウォルト・フレイジャーは現役時代、コート上でもニックスの伝説的な選手だった。1970年代のニューヨークの優勝チームのメンバーであったフレイジャーは、NBAオールディフェンシブチームに7回、オールスターに7回選出された。6シーズン連続で1試合平均20得点以上を記録し、トリプルダブルが一般的になった現在でも、アシスト数、トリプルダブル数ともにニックスの歴代トップである。
ニックスにおける位置付け
今日に至るまでニックスのファンから愛され続けているフレイジャーは、彼の数字、実績、そして優勝経験を考えると、フランチャイズ史上最高の選手であり、チーム史上最高の黄金時代を支えた原動力である。
項目 | 点数 |
在籍期間 | 7.5 |
オフェンス | 7.5 |
ディフェンス | 8.5 |
受賞歴 | 6.5 |
プレイオフでの成績 | 9 |
全盛期のパフォーマンス | 7.5 |
健康 | 8 |
フランチャイズ記録 | 6 |
チームカルチャ―への影響力 | 8 |
栄誉 | 9 |
合計 | 77.5 |
原文:Ranking the 11 greatest Knicks players ever, from Patrick Ewing to Jalen Brunson
抄訳:小野春稀(スポーティングニュース日本版)