最終戦バレンシアGPが無事に終了し、幕を下ろした2025年シーズン。来季に向けてライダーやチームが慌ただしく準備を進める中、Red Bull KTM Tech3のマーベリック・ビニャーレスが、2026年シーズンに向けた新たなパートナーを発表した。それがなんと最高峰クラスで3度、全クラス通算で5度の世界王者に輝き、殿堂入りも果たしているホルヘ・ロレンソだ。
スーパー・コーチは迷える天才を救えるか
この発表は、単なるチーム体制の変更というニュースの枠を越え、グランプリの歴史においても大きなニュースといえる。最高峰クラスを極めた「レジェンド」が、テストライダーやアドバイザーといったよくある名誉職的に関わることは少なくない。しかし、一人の現役ライダーの「パフォーマンスコーチ」としてフルタイムで帯同し、泥臭く勝利を目指すという体制は、事実上、前例がないからだ。
MotoGPの世界において、ライダーが元ライダーをコーチとして雇うこと自体は、もはや珍しいことではない。バレンティーノ・ロッシが元125cc・250ccクラスで世界王者に輝いたルカ・カダローラを「トラックアナリスト」として招聘。直近ではドゥカティが元世界王者のマヌエル・ポッジャーリを起用し、フランチェスコ・バニャイアらを支えて成功を収めている。
このように、軽量級・中量級を制したマエストロたちが、その経験を現役ライダーに還元するシステムは定着していた。ビニャーレス自身もかつて、元125cc王者のフリアン・シモンを帯同していた時期がある。
しかし、今回のホルヘ・ロレンソの起用は、それらとは次元が異なる意味を持つ。ロレンソは、最高峰MotoGPクラスでロッシ、ケーシー・ストーナー、ダニ・ペドロサ、そしてマルク・マルケスといった強敵と真っ向から渡り合い、彼ら相手に3度も頂点に立った名ライダーである。
ストーナーやペドロサがスポット的に現役選手へ助言することはあったが、ロレンソのように明確な「パフォーマンスコーチ」の肩書を持ち、年間を通じて特定のライダーに寄り添う契約を結ぶことは極めて異例だ。これは単なる「走りの矯正」ではなく、勝者のメンタリティを授ける「帝王学の伝授」と言っても過言ではないのかもしれない。
ロレンソのコーチングとは?
この前例のない提携の目的は、共同声明にある通り「世界チャンピオンの獲得」ただ一つである。ビニャーレスにとって、ロレンソは数年前まで同じコースで火花を散らしたライバルであり、その強さを誰よりも肌で知っている存在だ。
一発の速さと天性の才能は誰もが認めるライダーであるビニャーレス。それは、スズキから最高峰クラスにデビューし、2年目に初優勝を挙げ、以降3メーカーで優勝を経験する実績から見ても明らかだ。
しかし、スズキ、ヤマハ、アプリリアと渡り歩いた彼のキャリアには、常に好不調の波という影がつきまとっていた。速さはあるが、脆い。この一貫性の欠如こそが、彼がチャンピオンシップに手が届かなかった最大の要因であると指摘され続けてきた。
対するロレンソの現役時代は、彼のブレーキレバーとクラッチレバーに施されていたmartillo(ハンマー)とmantequilla(バター)という言葉を体現する走りを見せていた。
ハンマーのように一定のラップタイムを刻み続け、バターのようにスムーズでなめらかな走りは、ライバルの戦意を完全に挫くものだった。コーナリングに優れているヤマハとの相性も相まって、その走りは冷徹なまでの安定感を誇っていた。ビニャーレスとロレンソはいわゆる「先行逃げ切り型」という意味では似ているかもしれないが、ロレンソはバトルにも強かった。
ロレンソのライバルであったロッシは接近戦にめっぽう強かったため、ロッシの陰に隠れてしまうかもしれないが、接近戦の勝負強さは何度も見せている。
ビニャーレスの予選やクリアラップでの走りはMotoGP界でも屈指のスピードを誇る。一方で、ライバルの背後につくと苦戦が続く印象が強い。ビニャーレスがMotoGPに昇格して以降、絶対王者として君臨しているのがマルク・マルケスだ。マルケスは強烈な勝負強さを誇り、直接対決で倒すのは至難の業。バトルに弱く、ライバルが接近戦を得意としていることもビニャーレスが後塵を拝する大きな要因である。
ロレンソ主導の指導体制は、「身体的・運動能力的準備」「戦略的コーチング」「技術的スポーツ開発」の3つの柱で構成される。特に重要なのが、今年7月のドイツGPで負った肩の骨折からの完全復活を含めたフィジカルの再構築、そして何よりメンタル面での戦略的コーチングだ。ロレンソは自身の経験という「外部からの視点」を用い、ビニャーレスの弱点であるメンタルの揺らぎを、強固な武器へと変える役割を担う。
世界の頂点に立つ人間には強烈な個性があり、例にもれずロレンソもエゴの強いライダーだったため、リスクがないわけではない。しかし、ロレンソは今、指導者として「彼に寄り添い、最高の状態へ導く」と明言。この言葉通り、オフに入ってからはビニャーレスに付きっきりでトレーニングを行っている姿がSNS等で確認されており、ビニャーレスも「あらゆる面で学ぶ機会」と全幅の信頼を寄せている。
ロレンソ自身、最高峰クラスに昇格してすぐに速さを見せつけたが、転倒が多く考えを改めた過去がある。常に全開で走ることをやめ、リスクについて考えるようになったロレンソは、単発で他を圧倒するだけではなく、年間を通して強さをみせた。その結果が3度のタイトル獲得に繋がっている。
とにかく速かったライダーから強いライダーになったロレンソは、ビニャーレスにとって目指すべき存在であり、メンターといえるだろう。
眠れる獅子がついに目覚めるのか。2026年シーズンの見どころがひとつ増えた今季のオフとなった。
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