オリヴァー・グラスナーのキャリアは? プレミアリーグを席巻するクリスタル・パレス監督の戦術・指導歴

Kyle Bonn

小鷹理人 Masato Odaka

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ヨーロッパのサッカー界で最も注目を集める監督の一人が、クリスタル・パレスを率いるオリヴァー・グラスナーだ。就任から数年でクラブを新たな高みへと導いている。

51歳のオーストリア人監督は、指導者としてのキャリアを始めて10年あまりだが、これまで率いた5つのクラブすべてで目に見える成長をもたらしてきた。

その中でも近年は、最も印象的なものかもしれない。グラスナーは2024年2月にクリスタル・パレスの監督に就任すると、すぐにチームに変化をもたらし、クラブ史上最高のプレミアリーグの勝ち点を記録した。さらにその翌シーズンにはFAカップを制し、クラブ史上初の主要タイトルを獲得。2024-2025シーズンを力強く締めくくり、ヨーロッパ大会への出場権を手にした。

その勢いは2025-2026シーズンの開幕後も続き、シーズン6試合を終えた時点でパレスは唯一の無敗チームに。9月下旬には王者リバプールを2-1で破り、その存在感を示した。

スポーティングニュースは、グラスナーの監督としての歩み、指導したクラブ、戦術的な特徴、そして選手としてのキャリアの終わりについて見ていく。

オリヴァー・グラスナーのキャリアと指導歴

グラスナーはレッドブル・グループの一員として指導者キャリアをスタートさせ、ラルフ・ラングニックの推薦を受け、2012年にロジャー・シュミットのアシスタントコーチとしてRBザルツブルクに加入した。

2014年夏にシュミットがレバークーゼンの監督に就任すると、グラスナーは現役時代のほとんどを過ごしたSVリードで監督キャリアを始めた。

リードで1シーズンを過ごした後、現役時代に所属したもう一つのクラブ、LASKリンツの監督兼スポーツディレクターに就任。就任2年目に1部昇格を果たすと、翌シーズンには4位に入りヨーロッパリーグ出場権を獲得。さらに4年目には2位フィニッシュを達成し、クラブをチャンピオンズリーグへ導いた。

その後、ドイツのヴォルフスブルクに移籍し、初めて「欧州5大リーグ」での監督職に挑戦。2シーズン連続で欧州大会出場権を確保し、2年目にはチャンピオンズリーグ出場も果たした。しかし、スポーツディレクターのヨルグ・シュマトケやキャプテンのジョシュア・ギラヴォギとの関係が悪化。ギラヴォギは「彼が去ってうれしい」とまで発言し、グラスナーはクラブを去ることになった。

ヴォルフスブルクが手放した宝を拾ったのがフランクフルトだった。2021年5月に監督に就任すると、時間はかかったがチームを立て直し、2022年にはヨーロッパリーグ優勝という大きな成果を挙げた。翌シーズンはチャンピオンズリーグで決勝トーナメント進出を果たし、DFBポカール決勝にも進んだ。

しかし、リーグ戦での後半戦の失速により、フランクフルトを2年で退任。その後は数か月の空白期間を経て、2024年2月にロイ・ホジソンの後任としてクリスタル・パレスの監督に就任した。2023-2024シーズン終了時にはクラブ史上最高の勝ち点49を記録。続くシーズンにはFAカップ決勝でマンチェスター・シティを破り、クラブ史上初の主要タイトルを手にした。

オリヴァー・グラスナー監督の成績

※2025年9月27日時点

クラブ就任退任試合数勝-引-負勝率
SVリード2014年5月12日May 25, 20153713-7-1735.1%
LASKリンツ2015年7月1日Jul. 1, 201916194-32-3558.4%
ヴォルフスブルク2019年7月1日Jun. 30, 20218741-22-2447.1%
フランクフルト2021年7月1日Jun. 30, 20239738-30-2939.2%
クリスタル・パレス2024年2月19日現在7032-23-1545.7%

グラスナーのフォーメーション・戦術・スタイル

グラスナーはレッドブル流の指導を受けた監督だが、戦術的には非常に柔軟で、自分のチームの特性や相手の強み・弱みに合わせてアプローチを変えることができる。

彼の基本形は3-4-2-1で、3人のセンターバックを中盤のダブルボランチが支える形を取る。幅はウイングバックに任せるが、攻撃時も前がかりになりすぎず、守備に素早く戻れるバランスを保つのが特徴だ。4-2-3-1を用いる場合も、動きは似ており、サイドバックの一人が高く位置取りし、同時に中盤の一人が前に出てセカンドトップのように振る舞うことが多い。

クリスタル・パレスは典型的なロングボール主体の「ダイレクトチーム」ではないが、ドリブルではなくコンビネーションで前進しようとする。2024-2025シーズンのデータでは、ドリブル試行回数がリーグ最下位で、ショートパスやミドルレンジのパス数も下位3チームに入っていた。一方で、ロングパス試行数はリーグ8位だったが、成功率は下から2番目だった。これは、ロングボールを単なる前進手段ではなく、失敗してもその場でプレスを仕掛けて相手を混乱させるきっかけとして利用していたからだ。

守備時には5-2-3や5-4-1に移行し、ブロックを敷く。高く行き過ぎることはなくても、相手に快適にビルドアップさせないようにする。前線の3人は相手を特定のエリアに誘導し、中盤の2人は交互に前に出て中央への侵入を封じる。

グラスナーのシステムでは「いつ圧力をかけ、いつ待ち構えるか」というタイミングが最重要だ。前線の選手は相手のボールを外側に誘導し、サイドバックがタッチラインを「もうひとりの守備者」として利用できるようにする。この仕組みのおかげで、他の選手はポジションを崩さずに形を維持できる。

グラスナーの監督術の特徴は、選手の強みを攻守両面で独自に活かす工夫にある。たとえば、ジャン=フィリップ・マテタを意図的に低い位置に下げ、相手がクロス攻撃を多用する場面では空中戦の強さを守備に活用することがあった。

オリヴァー・グラスナーは選手だったのか?

グラスナーは18年間にわたる現役生活を送り、主に最終ラインでプレーした。キャリアのほとんどをオーストリアのSVリードで過ごし、1993年から2011年までにクラブ通算519試合に出場して27得点を記録した。

リード以外での経験は、2003-2004シーズンにLASKへ短期間のローン移籍をしたわずか3試合のみだった。

リードの選手として、グラスナーはオーストリアカップを2度制覇している。初めての優勝は1998年、2度目は現役最後のシーズンとなる2011年だった。

グラスナーが負った恐ろしい怪我とは?

2011年7月、グラスナーは命を失いかねない恐ろしい怪我を負った。

ラピッド・ウィーン戦でのヘディングの競り合いで負傷し、当時36歳だった彼は眼の上を切り、脳震盪を起こしたが、しばらくは出場可能な状態とされていた。

当時は「セカンド・インパクト症候群(second-impact syndrome)」の危険性について、まだ一般的に広く知られていなかった。脳震盪を起こした後はさらなる衝撃に極めて弱くなってしまうが、まさにそれが起きてしまった。

ヨーロッパリーグのブレンビー戦に向けた準備の中で、ヘディング練習に参加した際に脳内出血を発症。その日の宿泊先のホテルで体調不良を訴え、病院に緊急搬送されて手術を受けることになった。

この出来事が彼の現役生活の終わりを意味した。医師団の助言により、彼は現役引退を決断することになる。「医者からは二度とプレーしないように言われた」と当時のグラスナーは明かしている。もともと翌年の夏に引退するつもりだったとも語り、「あと半年だけプレーするためにすべてを失うのは無意味だ。家族と自分にとってあまりに大きなリスクだ」とコメントしている。

オリヴァー・グラスナーの妻と家族

グラスナーは2007年に妻ベッティーナと結婚した。彼女は夫のキャリアを一貫して支えており、スタンドで観戦する姿もたびたび目撃されている。

夫妻には3人の子どもがいる。ジュリアン、ニクラス、アリーナだ。

原文:Oliver Glasner career: Crystal Palace manager tactics, teams coached and more as Austrian takes Premier League by storm
翻訳:小鷹理人(スポーティングニュース日本版)

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