ルイス・エンリケは2025年5月31日(土)、監督として2度目のUEFAチャンピオンズリーグ制覇を果たした。初の成功からちょうど10年後のことだった。
2015年、エンリケ率いるスター軍団バルセロナはベルリンでビッグイヤーを掲げた。そして2025年、ドイツに戻りミュンヘンのアリアンツ・アレーナでパリ・サンジェルマンを率い、インテルを破ってクラブに悲願の欧州制覇をもたらした。
しかし、これは彼の驚異的なサッカー人生の一部にすぎない。選手としては激しいライバル関係を越え、監督としては世界最大級の舞台で成功を収めてきた。ここでは、ルイス・エンリケについて知るべきことをまとめる。
選手のキャリア
ルイス・エンリケは地元クラブのスポルティング・ヒホンでキャリアを始め、勤勉で多才なアタッカーとしての活躍により、スペイン代表やビッグクラブの注目を集めた。
1990年にU-21代表デビューを果たすと、1992年バルセロナ五輪優勝メンバーに選出された。1991年4月にはフル代表デビューを飾り、その後レアル・マドリードに移籍。5シーズンを過ごし、数々の成功を収めた。
しかし1996年夏、彼は衝撃の決断を下す。契約満了後に宿敵バルセロナへフリー移籍したのだ。ルーチョはすぐにファンの心をつかみ、2004年に引退するまで8年間在籍、キャプテンも務めた。
代表では3大会連続でW杯に出場し、通算62キャップ・12得点を記録。クラブ引退の2年前に代表から退いた。

監督のキャリア
2008年、ルイス・エンリケはバルセロナBの監督に就任した。トップチームに昇格し黄金期を築いたペップ・グアルディオラの後任だった。やがて彼自身もトップチームを率いることになるが、その道のりはより遠回りなものとなった。
2009-2010シーズン、バルセロナBはスペイン2部へ昇格を果たし、ルイス・エンリケ最後のシーズンにはセグンダ・ディビシオンのプレーオフに進出したものの、規定によりラ・リーガ昇格の資格はなかった。
その後、ルイス・エンリケは新天地を求め、まずセリエAのローマを率い、その後セルタ・デ・ビーゴの監督を務めた。いずれも1年限りで、成果は目立たなかったが、2013-14シーズンのタタ・マルティーノの不振を受け、バルサから再び声がかかった。
リバプールからルイス・スアレスが加入し、メッシ、ネイマールを含む豪華な攻撃陣をどう組み合わせるか当初は苦しんだ。しかし、偽9番として起用していたメッシを右ウイングに移し、スアレスを中央のストライカーに置いたことで状況は一変した。2014-2015シーズン後半、バルサは得点と勝利を量産し、ラ・リーガ、コパ・デル・レイ、そしてチャンピオンズリーグを制して三冠を達成した。

2015-2016シーズンもMSNトリオ(メッシ、スアレス、ネイマールのイニシャルをとった愛称)が躍動し、2年連続で国内2冠を獲得した。しかし2016-2017シーズンには3連覇を逃し、リーガはレアル・マドリードが頂点に返り咲き、CLも連覇を果たした。欧州の舞台ではユヴェントスに準々決勝で敗退したが、その前には伝説的な「ラ・レモンターダ(大逆転劇)」があった。パリSGに1stレグで0-4と大敗した後、カンプ・ノウで2ndレグを6-1で制し、奇跡的に突破した。
ルイス・エンリケは2017年6月、契約満了に伴い退任。1年の休養を経てスペイン代表監督に就任した。2008年ユーロ、2010年のワールドカップ、20212年のユーロの優勝を誇ったラ・ロハの黄金期は、2014年と2018年のW杯の成績不振で急速に色褪せていた。だが若手を中心にしたユーロ2020でのベスト4進出により再び復活の兆しを見せた。しかし2022年W杯ではラウンド16でモロッコにPK戦で敗れ、エンリケの代表監督としての任期は終わった。
彼がスペイン代表で築いた実績は、今のパリ・サンジェルマンでの仕事にも反映されている。ネイマール、メッシ、エムバペというスーパースターが去った後のチームを、将来有望な若手が引き継いでいる。リーグ・アンを連覇した後、2025年のCL決勝にヨーロッパ最強チームとして臨み、大会史上最も一方的な結果を残した。
獲得タイトル
選手
レアル・マドリード
- ラ・リーガ:1994-1995
- コパ・デル・レイ:1992-1993
- スーペルコパ:1993
バルセロナ
- ラ・リーガ:1997-1998、1998-1999
- コパ・デル・レイ:1996-1997、1997–98
- スーペルコパ:1996
- UEFAカップウィナーズカップ:1996-1997
- UEFAスーパーカップ:1997
スペイン
- バルセロナオリンピック金メダル:1992
監督
バルセロナ
- ラ・リーガ:2014-2015、2015-2016
- コパ・デル・レイ:2014-2015、2015-2016、2016-2017
- スーペルコパ:2016
- UEFAカップウィナーズカップ:2014-2015
- UEFAスーパーカップ:2015
- FIFAクラブワールドカップ:2015
パリ・サンジェルマン
- リーグ・アン:2023-2024、2024-2025
- クープ・ドゥ・フランス: 2023-2024、2024-2025
- トロフェ・デ・シャンピオン:2023、2024
- UEFAチャンピオンズリーグ:2024-2025

ルイス・エンリケの戦術
2016-2017シーズン、監督としての最終年にバルセロナの調子が上がらない中で、ルイス・エンリケはさまざまな布陣を試した。しかしその後は、一貫して攻撃的な4-3-3を軸とするカタルーニャ流サッカーの伝統に忠実であり続けている。
スペイン代表、そしてPSGでは、典型的なストライカー不在を逆手に取り、適応力とスピードを兼ね備えたアタッカーを起用し、相手守備に落ち着く暇を与えない。
また、バルサではシャビとイニエスタの黄金期の終盤を率い、スペイン代表ではペドリとガビ、PSGではファビアン・ルイスとジョアン・ネヴェスを起用するなど、中盤を常に創造性の場としてきた。
ルイス・エンリケの娘に何が起きたのか?
ルイス・エンリケの娘ザナは2019年8月、稀な骨の癌である骨肉腫と診断され、9歳で亡くなった。彼は診断後にスペイン代表監督の職を一時離れ、同年11月に復帰した。
その後の年月で、娘の死に対する彼の驚くべき、そして心を打つ姿勢は広く賞賛を集めた。
彼は2024年のキャリアを振り返るドキュメンタリーでこう語った。
「人生で最も辛い経験こそが、最も大きな学びを与えてくれる。『娘さんは9歳で亡くなったのに……』と人は言うかもしれない。だが私の娘は9年間、私たちと共に生きてくれた。私たちは彼女との思い出を無数に持っている。私は自分が不幸か幸運かと問われれば、幸運だったと答える。とても幸運だった。」
2023年には、彼女を称えて「ザナ財団」が設立された。
原文:Luis Enrique career bio, trophies won: All you need to know about PSG coach and Barcelona's hero former player
翻訳:小鷹理人(スポーティングニュース日本版)
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