TL;DR
- 柿谷曜一朗選手の引退試合「LAST MAGIC」が12月14日(日)にヨドコウ桜スタジアムで開催されます。
- 試合はABEMAで独占無料生中継され、かつての同僚やライバルが出場予定です。
- 柿谷選手はC大阪の下部組織出身で、日本代表としても活躍した天才プレーヤーでした。
- Jリーグ通算472試合に出場し、52得点を記録しました。
2025年1月に現役引退を発表した、天才「柿谷曜一朗」。
引退試合の開催が発表されて以降、かつての同僚やライバル、思い入れのあるメンバーの出場が続々と発表され、その舞台に華を添える準備は着実に整いつつある。
【ABEMA独占無料生中継】YANMAR present 柿谷曜一朗 引退試合 LAST MAGIC
12月14日(日)に開催される一戦を前に、本記事では試合情報とともに、柿谷曜一朗がどのような選手だったのか、そのキャリアを紐解いていく。
■柿谷曜一朗 引退試合の情報
大会名:YANMAR present 柿谷曜一朗 引退試合 LAST MAGIC
日時:12月14日(日)12:00キックオフ
会場:大阪市・ヨドコウ桜スタジアム
放送予定:ABEMA(11:30~/独占無料生中継)
■柿谷曜一朗 引退試合の対戦カード
大阪PINK vs 大阪BLUE
OSAKA PINK:セレッソ大阪(以下、C大阪)OBチーム
OSAKA BLUE:ライバルであるガンバ大阪OBと同時代に日本代表として戦ったメンバーで構成
■柿谷曜一朗とはどんな選手だったのか?
▼柿谷曜一朗のプロフィール
氏名:柿谷 曜一朗(かきたに よういちろう)
勇気:1990年1月3日
出身地:大阪府大阪市
身長/体重:176cm/68kg
ポジション:FW/MF
利き足:右足
Jリーグ通算成績
- J1:238試合/52得点
- J2:234試合/30得点
日本代表(A代表):18試合/5得点
▼所属クラブ
C大阪 → 徳島 → C大阪 → バーゼル(スイス) → C大阪 → 名古屋 → 徳島
▼柿谷曜一朗の生い立ちと経歴
4歳からC大阪の下部組織に加入し、プロになるまでの約12年間をC大阪一筋で過ごした。
U-12日本代表に選出されて以降、各年代別代表に名を連ね、16歳でプロ契約。
順調にエリート街道を歩み、将来を嘱望される存在となった。
しかし、順風満帆に見えたキャリアの裏で、同世代の香川真司や乾貴士の台頭により出場機会を失う時期を迎える。
2009年6月には、度重なる練習への遅刻が原因で当時C大阪を率いていたレヴィー クルピ監督の信頼を失い、事実上の追放という形で徳島ヴォルティス(以下、徳島)へレンタル移籍となった。
徳島では、美濃部直彦監督やキャプテン倉貫一毅との出会いを通じてプロ意識が大きく変化。
副キャプテンを任されるなど、人間的にも大きな成長を遂げた。
2012年にセレッソ大阪へ戻った彼は、その才能を存分に発揮して多くのゴールを記録しました。2013年にはチームの要となる背番号8を着用し、日本代表にも継続的に招集されるようになり、実力と名声の両方で日本サッカー界のトッププレイヤーとしての地位を確立しました。
2014年のブラジルW杯では日本代表の最終メンバーに選出され、コートジボワール戦(●1-2)、コロンビア戦(●1-4)の2試合に出場。同年夏にはスイスの名門・バーゼルへ移籍し、海外挑戦も経験した。
その後、C大阪への復帰を経て名古屋グランパス、再び徳島でプレー。2024年シーズンをもって、長きにわたる現役生活に終止符を打った。