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開幕前に決断した現役引退…大塚明・前ロッテコーチ、2010年シーズンの舞台裏を説明

尾辻剛 Go Otsuji

開幕前に決断した現役引退…大塚明・前ロッテコーチ、2010年シーズンの舞台裏を説明 image

Jiji Press

現役時代のロッテ・大塚明

■満身創痍で続けた奮闘…17年目に現役引退

現役引退をシーズン開幕前に決断していた。ロッテでチーフ打撃コーチ兼走塁コーチを務めた大塚明氏は2025年オフ、32年間所属したチームを退団。入団後初めて球界を離れ、今年は外からプロ野球を見守る。新たな一歩を踏み出した50歳。人生の節目を迎え、ロッテ一筋だったプロ野球人生の現役ラストイヤーとなった2010年を振り返った。

大分の別府羽室台高から1993年ドラフト3位でロッテに入団。外野手に転向した4年目に1軍デビューを果たし、6年目の1999年に107試合に出場して1軍に定着した。以降は左腕キラーとして活躍。スタメンではなくても終盤の守備固めで重宝されるなど、名バイプレーヤーとして存在感を示し続けた。

2005年には96試合に出場して打率.293、8本塁打。守ってはパ・リーグトップの守備率10割をマークして31年ぶりのリーグ優勝と日本一に攻守に貢献した。2006年は自己最多109試合に出場。2008年も103試合出場と、投手の左右によって日替わりオーダーを組むボビー・バレンタイン構想にもマッチしてチームに欠かせない存在だったが、プロ1年目に痛めていた右肩は限界が迫っていた。

「右肩はずっと痛かったですね。2週間に1度ぐらいのペースで、痛み止めの注射を打っていましたし、薬も飲んでいました。あの頃は毎年、春先は投げられなくて、シーズン途中にケガ人が出た時までに何とか調整して1軍に呼ばれる感じ。チームが困った時に入って、そこから活躍する。そんなイメージの仕事っぷりで、スーパーサブとしてやらせてもらいました」

痛みが増した2009年は6試合出場と出番が激減。1軍定着後、初めてシーズン無安打に終わった。同年限りでバレンタイン監督が退任。翌2010年は、自身を外野手として鍛え上げてくれた西村徳文ヘッドコーチの監督昇格が決まっていた。

「あの年は、もう投げられませんでした。西村さんの恩恵で1年があったのかもしれません。春先には球団から呼ばれて『実はもう戦力として見ていない。指導者として歩んだらどうか』と言われたんです」

年明けの2010年2月には左膝を手術。右肩以外にも右膝、右足首も痛めており、満身創痍の状態だった。

「指導者の話を断るんだったら、リハビリしながらロッテを出ていくしかない。でも痛くて投げられないから、治して他球団に行って勝負するというのは厳しい。あの頃は毎年、プレーできる状態を成立させていくのに苦労していたので、今年で終わりだろうなというのがあったんです」

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■オフにサプライズ…同期が花束贈呈、ファンから胴上げ

そんな中で球団から提示された指導者の道。現役への未練がないわけではなかったが、体の状態を考えると、引き際が迫っているのは理解していた。故障を治して現役続行を目指すか、それとも指導者の道を選ぶか――。

「指導者として考えてくれているのなら、それはありかなと思ったんです。その1年を有意義に勉強にさせてもらいながら、その後に実際にコーチとして歩むのかどうかは、また考えればいいかなと思いました。それで開幕前に、決断に至りましたね」

シーズンが開幕する前に同年限りでの現役引退、そしてコーチ兼任を決断したのである。チームがペナントレース3位から下剋上日本一を達成したシーズン。大塚氏は一度も1軍に呼ばれることはなく、2軍でコーチ兼任として真っ黒に日焼けしながら若手への指導、育成に尽力した。

コーチ兼任で過ごしたプロ17年目。引退後は、球界を離れて一般社会で勉強することも頭の片隅にあったという。実際に、ある企業から声がかかり、足を運んで業務内容を体験したこともある。迷いながらもチームへの恩返しを優先し、オフに現役引退とコーチ就任を決意。翌2011年からの外野守備・走塁コーチ就任が発表された。

チームの功労者が迎えた節目の時。日本一まで激戦が続いたため、シーズン中にセレモニーは実施されなかったものの、オフにうれしいサプライズがあった。ファン感謝イベントで、同期入団の福浦和也、小野晋吾、諸積兼司が花束贈呈。最後はグラウンドにいたファンから胴上げされたのである。

「同期が来てくれて、ありがたかったですね。それに、なぜかファンが胴上げしてくれました。あれは面白かったですね。ロッテファンの方には長い間サポートしていただき、感謝しきれないほどの思いがあります」

現役引退以降もロッテのユニホームに袖を通し続け、兼任時代を含めてコーチ生活は16年間に及んだ。昨年はチームが最下位に終わった責任を取る形で退団を決意。球界を離れることになるが「自分で選んだ道。球団には感謝しかない」とわだかまりはない。50歳で歩み始めた第二の人生。ユニホームは着ていなくても、心はロッテとともにある。
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Staff Writer