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ロッテと違う扱い、中日で感じた「いらだち」…成功目前で誤算、ドラ1右腕が引退決断した舞台裏

尾辻剛 Go Otsuji

ロッテと違う扱い、中日で感じた「いらだち」…成功目前で誤算、ドラ1右腕が引退決断した舞台裏 image

Jiji Press

移籍した中日で投球練習する大嶺祐太

■大嶺祐太氏、プロ最終年の中日時代を振り返る

2006年の高校生ドラフト1位指名を受けてロッテに入団した大嶺祐太投手は、2021年に戦力外通告を受けて退団。2022年は中日と育成契約を結んで現役を続行したが、支配下登録を勝ち取ることはできなかった。オフに戦力外通告を受けて引退を決断。球界を離れた右腕が、プロ野球人生最後の年を振り返った。

プロ16年目は単身で挑んだ新天地。沖縄での春季キャンプは1軍スタートも、2月下旬に右肩を痛めて2軍調整を余儀なくされた。「投げられる状態じゃなかった」ため、3月からはリハビリ組に入って調整。支配下登録期限の7月末まで半年を切る中、大嶺氏には実戦復帰と支配下登録に向けた明確なプランがあったという。

「中日のファームの起用方法を見ていると、育成という形じゃなくて、1軍同様に勝ちにいくスタイル。それだと投手は夏場にはバテてくる。そこで僕が普通に投げられたら、見栄えがすると思いました」

この年から1軍は立浪和義監督が就任。新体制下で「メンバーを固定して戦いたいシーズン序盤は1、2軍の入れ替えは少ない」と予想し、焦りは禁物だと肝に命じてリハビリに臨んだ。チームの理学療法士に「何とか3カ月で復帰したい」と希望を伝えたそうである。

「『6月に復帰して、支配下登録期限の7月末に向けて完璧な球を追い求めたい』と話をしたら『そこまで明確なプランがあって、自分でやるメニューがあるのであれば、チームのリハビリメニューがあるけど、やらなくていい』と言われました。でもそうすると示しがつかなくなるので『チームのメニューはやります。でも自分のメニューもやります』と話をしてリハビリに入りました」

リハビリ期間中、休みを利用して同学年でロッテ時代の同僚である石川歩投手の紹介を受け、中部大野球部の堀田崇夫監督を数回訪問。石川との野球談議で疑問に思っていたことを質問した。「投球フォーム、体の使い方について石川と話していて、点では分かっていたことが線につながったんです。そこから思うように投げられるようになっていきました」。苦しい闘いの中で、光が差してきた。

6月8日のウエスタン・リーグ、広島戦(ナゴヤ)で実戦復帰し1回2奪三振無失点。中1日で10日のオリックス戦(同)も1回無安打無失点に封じた。連投となった11日の同カードも3人でピシャリ。大嶺氏のプラン通りに進んでいるように思えたが、この後に誤算が生じた。

「ロッテではケガから実戦復帰してすぐの時はトレーナー管轄だったんですけど、中日は違いました。ケガ明けでも普通に起用されて、ケガしていたことは忘れられたような感じなんです。1週間で3試合投げて、出番がなかったけど肩を作った試合も他に1試合ありました。それで投手コーチから『次の週に先発』と言われたんです」

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■故障明けに“酷使”…悲鳴を上げた右肩

故障明けで中継ぎ調整を続けてきた大嶺氏は「いいですけど、3回までしか投げられませんよ」と返答したという。「『何で?』と言われたので『ケガ明けだし、中継ぎの練習しかしていないのに、急に先発と言われて、いきなり5回なんて投げられないです』と返しました」。ロッテとは雰囲気が違い「中日ではコーチに何か言われたら『はい』と答えるしかなかったんです」と振り返る。

大嶺氏が意見し、周囲が「どうした?」とざわつく場面もあったそうだ。結局は大嶺氏が折れて18日の広島戦(マツダ)に先発。5回無失点とまたも結果を残した。「そしたら『来週また先発』と言われました。『それはマジで無理です』と返したら、また『何で?』となったんです」。支配下契約を勝ち取るにはアピールが必要。でも右肩痛が癒えたばかりで、適度な登板間隔が必要だと感じていたのである。

中10日で先発したオリックス戦(杉本商事BS)は5回2失点(自責点0)。すると今度は中6日で7月6日のオリックス戦(ナゴヤ)先発となった。復帰後5試合13回を投げて防御率0.00とアピールに成功する一方で広がる不安。「『もう肩がヤバいです』と中6日は断っていたけど、チーム事情もあったのか一向に譲らないので投げました」。右肩は限界寸前だった。

「復帰した最初の頃は150キロ近く出ていたんですけど、もう出ても141、142キロ。常時138キロぐらいで、イニングの合間に『全力で投げろ』って言われたんです。でも全力で投げている。『どこか痛いのか?』と聞かれたので『ずっと言っていた通り、肩がヤバいです』と答えたら交代になりました」

2回3失点で降板。右肩痛が再発して再び戦線離脱し、この時点で支配下登録の可能性は事実上消滅した。アピールの場を少しでも多く与えたい現場と、間隔を空けて万全の状態でアピールしたい大嶺氏との“すれ違い”が生んだ悲劇である。

「ケガ明けなのに、その部分は配慮されていないように感じて、いらだちと悲しさがありました。その辺りはチームによって全然違いますね。そこが分かっていなかった僕のミスです。シーズン中の支配下登録がなくなって『ああ、これで野球人生終わったな』と思いました」

それでも腐らずにリハビリを続けた。「最後に肩が痛くない状態でマウンドに上がりたいと思いました」。シーズン終盤に復帰し、本拠地の最終戦となった9月25日のオリックス戦に先発。3回途中4失点でKOされたが、肩の痛みはなく球威も戻っていた。

10月に戦力外通告を受け、引退を決断した34歳の秋。「自分の球を投げられれば打たれないんだと改めて感じることもできました。ただ、もう伸びしろもない。クビだったら、もうやめようと決めました」。やり切った感があり、悔いはなかった。

現在は球界を離れ、都内で飲食店を経営するなどさまざまな事業に携わっている。休みがない日々を送るが「生活のリズムには慣れました。体力的にはきついですけど、精神的にはきつくない。自分の頑張り次第でどうにでもなる。野球やっている時よりも今の方が楽しいですね」と笑みを浮かべた。大忙しの中でも、保育園の送り迎えなど3人の子育てにも奮闘。スラリとした体形を維持する37歳の第二の人生は、とても充実している。

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