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ドラ1右腕の覚悟「野球界には残らない」…ロッテ戦力外、ポスト用意も「僕には無理」

尾辻剛 Go Otsuji

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Jiji Press

2020年に支配下復帰したロッテ・大嶺祐太

■大嶺祐太氏、2021年の戦力外通告を振り返る

2006年の高校生ドラフト1位指名を受けてロッテに入団した大嶺祐太投手は、2021年まで15年間ロッテでプレーした。2011年以降はケガとの闘いが続き、2019年には右肘を手術。長いリハビリを経て復活勝利を挙げた2021年オフ、戦力外通告を受けた。

「あまりショックは感じなかったですね。30歳の手前ぐらいから、『そろそろ(戦力外で)呼ばれるんじゃないかな』といつも構えていたので……。戦力外と言われて、もちろん寂しい気持ちはありましたけど、ショックかと聞かれれば、そこまでではなかったです。むしろ、長くプレーさせてもらってありがたかったです」

手術、育成契約を経て2020年に支配下選手に復帰。3年ぶりの1軍登板を果たした。2021年6月4日のDeNA戦(横浜スタジアム)では5-5の4回から2番手で登板して2回無失点。5回に味方が勝ち越して4年ぶりの勝利をつかんだ。

さあ、これから完全復活という時期の戦力外通告。当時33歳だった右腕は「自分が納得いくボールは投げられていたので、あと1年はやろうと思っていました」と振り返る。

ロッテ入団の際、現役引退後は大嶺氏が希望すれば何らかの形で球団に残れることが契約に盛り込まれていたという。2016年に同郷の沖縄出身女優・琴菜と結婚していた大嶺氏は、早くから夫人に「球団には残らない」と伝えていたそうだ。

「あの頃は漠然と、球団に残るということは、いずれは投手コーチになるというイメージが凄く強かったんです。僕がもしも投手コーチになった場合、入ってくる選手たちの未来を背負えるのかと考えました。それは僕には無理だなと思ったんです」

■「指導してはいけないのかなと思っていた」

ドラフト1位で入団し、先発ローテーションで活躍した時期があったものの、相次ぐケガや不調で苦しんだ期間の方が圧倒的に長い。「僕もコーチを信じすぎてちょっとダメになった時もあった。あの時は僕の引き出しもないので自分も悪い。自分の知識がないのに、指導してはいけないのかなと思っていたんです」。コーチ業に対してプラスとなるイメージが湧かなかったのだ。

2019年に誕生した長男への思いもある。「コーチの話を聞いても全く良くならない。毎日怒られる。コーチが言っていることは分かるけど、そこに至る過程ができていないから言われていることができない。これ以上、野球にかかわり続けると、もし自分の息子が『野球をやりたい』となった時に応援できなくなる可能性が出てくる。だから『俺は野球界に残らない』って言いました」。そこには複雑な心境がにじむ。

現在は飲食店経営などさまざまな業務に携わる大嶺氏。ロッテから戦力外通告を受けるずっと前から、球界を離れる覚悟はできていたのである。

ただ、当時はまだ引退は考えていなかった。ロッテから球団職員のポストが用意されていた中、断って現役続行を決断。12月に中日と育成契約を結んだ。初めてのセ・リーグ。大きく異なる環境に身を置き、1年間プレーを続けた。

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