■大嶺祐太氏、プロ野球で苦しんだ要因を自己分析
2006年の高校生ドラフト1位指名を受けてロッテに入団した大嶺祐太投手は、2年目の2008年にプロ初勝利を挙げた。2009年にはプロ初完封も記録。大器の片りんを示し、先発ローテーションの一角に食い込みかけたが、そこから伸び悩んだ。
「少しずつプロに慣れていきました。慣れていくと同時にプロの怖さも知りましたね」
2008年7月24日の日本ハム戦(札幌ドーム)。ダルビッシュ有投手(現パドレス)と投げ合い、6回4安打2失点と粘った。打線の援護もあり、石垣島から最も遠い北の大地でプロ初勝利。この年は2勝をマークした。
翌2009年5月13日のソフトバンク戦(北九州)では強力打線を6安打に封じてプロ初完封。シーズンを通して5勝を挙げ、順調に成長曲線を描いているように思えたが、本人に手応えはなかったという。
「完封はたまたまだと思っているんですよ。捕手のリードのおかげでした。その時は僕が要求通りに投げられる確率が高かっただけだと思っています」。結果を残しても自信は芽生えず「打たれないように、コースが甘くならないように『厳しく厳しく』と意識していました。でも、そこまでのコントロールがないので結局、四球を出す。走者がたまって打たれるという悪循環でした」と振り返った。
その後も成績は安定せず、2015年の8勝が自己最多と2桁勝利は一度もない。完投勝利が6度あり、そのうち完封が4度と非凡さを見せながら、プロ16年間で通算勝利は29勝にとどまった。
■「そのまま信じていれば良かったんだ」
なぜ勝ち星が伸びなかったのか。今考えると、精神面が原因だったという思いがある。スカウトや正捕手の里崎智也氏が「いい球だ」と褒めても「ずっとパフォーマンス(リップサービス)だと思っていたんです」と自信をつけさせるために誇張して言ってくれていると感じていたという。
ロッテで運営本部長などを務めた石川晃氏と最近、話す機会があった大嶺氏。「石川さんは『少なくとも100勝はすると思っていた』と言っていました」。その時に「僕は自分の球に最後まで自信を持てなかったです」と伝えると「お前があそこまでしか勝てなかったのは、そこだよ」と指摘されたそうだ。
「ずっと自分の球を信じていなかった。でも、周りが言っていたのを、そのまま信じていれば良かったんだと、初めて知りましたね」
どんなにいい球を投げていても、どんなに周囲が高く評価しても、自分が一番、自分を信じ切れていなかったのである。圧倒的な投球で何度も完封したようにポテンシャルの高さを示しながら、繊細な部分が強く出ていたのが伸び悩んだ要因の1つだったと、ようやく気づかされたのだ。
それでもプロで16年間投げ続けたのは期待が大きかったからこそ。白星を挙げたシーズンは、9度あった。記録には特筆する数字が残っていなくても、記憶には強く残る投手である。
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