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メジャー帰りの井口資仁、ロッテ入団の舞台裏…球団幹部が明かした17年前の“真相”

Editorial Team
メジャー帰りの井口資仁、ロッテ入団の舞台裏…球団幹部が明かした17年前の“真相” image

ロッテ時代に監督を務めた井口氏

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■2008年オフ、日本球界復帰…決め手は石川晃氏の存在

日本シリーズはソフトバンクの優勝で幕を閉じ、プロ野球は全12球団がシーズンオフに突入。選手の去就に関する情報が飛び交うなど、ストーブリーグの真っただ中である。

シーズンオフに注目されるのが外国人補強や日本人選手のメジャー挑戦。そして日本人メジャーリーガーの日本球界復帰も話題を集める。

2008年オフ、ホワイトソックスとフィリーズで世界一を経験した井口資仁内野手が日本球界復帰を決断した。巨人など複数の球団が獲得に動いた中、井口氏が選択したのはロッテ。その裏にはダイエー(現ソフトバンク)入団時の担当スカウトの存在があった。

当時の報道では、プロ入り時のダイエー球団幹部だった瀬戸山隆三氏がロッテの球団社長だったことや将来の監督手形が入団の決め手だったとされている。もちろん、それも事実ではあるが、実際にはもっと大きな決め手があった。直前にロッテ球団幹部として引き抜かれていた石川晃氏の存在である。

ダイエーの編成次長だった石川氏は逆指名制度が導入された1993年ドラフトで現ソフトバンク監督の小久保裕紀内野手(青学大)を獲得。1996年ドラフトでは井口氏(青学大)と松中信彦内野手(新日鉄君津)のダブル獲りに成功した。さらに和田毅投手(早大)ら一線級の選手を次々と獲得。敏腕スカウトとして万年Bクラスだったダイエーを立て直し、常勝軍団の礎を築いた。

2005年の退団後は日本ハムのスカウトとして活動。2008年オフにダイエー時代の上司であった瀬戸山球団社長に、招聘されていたのである。

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■「僕は日本ハムに行くつもりだったんですよ」

井口氏がロッテ移籍1年目の2009年のシーズン中、石川氏を交えて3人で話す機会があった。その時の会話が忘れられない。井口氏が「僕は日本ハムに行くつもりだったんですよ。石川さんはてっきり、まだ日本ハムにいると思っていたので」と笑いながら発したのだ。

さらに驚かされたのは、前年までプレーしたメジャーリーグの情報交換だった。あの選手は日本向き、あの選手は日本に興味を持っている――。記者の目の前で“編成会議”が始まったのである。青学大時代から続く2人の強い絆を見せつけられた思いだった。

2011年オフのロッテ退団後、球界を離れた石川氏は現在、さまざまな事業に携わりながら国内外を飛び回っている。先日、海外から帰国した石川氏に再会して当時のことを聞いてみた。

「そんなこと言ってたかな? でも、井口は私がいる球団に来るんですよ。あの時の巨人は二塁手がいないから、かなり本腰を入れていたけど、生え抜き以外は監督になれない。ロッテは将来の監督という条件をつけたし、私と瀬戸山さんがいる。だから『石川さんのところに行きます』ってなりましたね」

現役引退後の2018年からロッテ監督を5年間務めた井口氏とは、今も交流が続いているという。今回の話を聞き、17年前の井口氏の発言は本心だったと、改めて確信した。

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