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NBAファイナル第7戦の全歴史:対戦カード・スコア・スタッツまとめ

Dan Treacy

佐藤瑞紀 Mizuki Sato

NBAファイナル第7戦の全歴史:対戦カード・スコア・スタッツまとめ image

近年のNBAでは、シーズンのすべてが1試合にかかるという状況はそう多くない。しかし、それが起きたとき、選手たちの『レガシー(偉業)』が決まる。

NBAファイナルの第7戦は、レブロン・ジェームズがアンドレ・イグダーラをブロックして逆転優勝へ導いたシーンのように、バスケットボールの象徴的な瞬間が多く生まれた舞台だ。

2000年代以降、NBAファイナルで第7戦までもつれ込むことはあまり多くなかったが、リーグの戦力均衡が進む中で、今後は増える兆しも見られるかもしれない。

ここでは、NBAファイナル第7戦の全ての試合のスコアや象徴的なパフォーマンス、スタッツなどをまとめる。

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NBAファイナル第7戦 全試合リスト

ペイサーズとサンダーが対戦する2025年の第7戦は、NBAファイナル史上20回目の第7戦だ。

以下は、これまでのNBAファイナル第7戦の19試合となる。

1951年:ニックス対ロイヤルズ

スコアロイヤルズ 79-75 ニックス
開催地エドガートン・パーク・アリーナ
最多得点者アーニー・ライゼン:24得点

NBAファイナル史上初の第7戦は、1951年にロチェスターで行われた。このときは、現在のサクラメント・キングスであるロチェスター・ロイヤルズがニューヨーク・ニックスを下して、初の優勝を果たした。

ニックスは、シリーズ0勝3敗と大きくリードされながらも、そこから3連勝して3勝3敗のタイに持ち込み、歴史的な逆転勝利を狙っていた。しかし結局は第7戦で敗れ、快挙達成とはならなかった。

なお、現在に至るまで、NBAプレイオフで0勝3敗から逆転でシリーズを制したチームは1つも存在しない。

関連記事:NBAプレイオフでシリーズ0勝3敗から第6戦や第7戦まで持ち込んだ過去の例は?

1952年:ニックスvsレイカーズ

スコアレイカーズ 82-65 ニックス
開催地ミネアポリス・オーディトリアム
最多得点者ジョージ・マイカン:22得点

1952年、ニックスは前年の第7戦での敗北からのリベンジを果たすべく再びファイナルに戻ったが、この重要な一戦ではシリーズ中最も低い得点しか記録できなかった。

ミネアポリス・レイカーズは全てのクォーターで勝利し、特に第3Qではニックスをわずか8得点に抑えた。レイカーズのジョージ・マイカンは、22得点、19リバウンドの活躍でチームを快勝に導いた。

1954年:レイカーズvsナショナルズ

スコアレイカーズ 87-80 ナショナルズ
開催地ミネアポリス・オーディトリアム
最多得点者ジム・ポラード:21得点

1952年と同様に、この年のNBAファイナルでもレイカーズはシリーズ中に3度リードを奪ったが、そのたびに相手チームに追いつかれる展開となった。

現在のフィラデルフィア・76ersであるナショナルズは、第7戦の後半に前半よりも16点多く得点したが、それでもレイカーズを脅かすには至らなかった。結果、レイカーズは6年で5度目のNBA優勝を果たした。

1955年:ピストンズvsナショナルズ

スコアナショナルズ 92-91 ピストンズ
開催地オノンダガ・ウォー・メモリアル
最多得点者ラリー・フォウスト:24得点

前年に第7戦でレイカーズに敗れたナショナルズは、翌年シラキュースでフォートウェイン・ピストンズとの第7戦をホームで迎えるチャンスを得て、僅差で勝利を収めた。

ナショナルズはバランスの取れた得点を見せ、7人の選手が2桁得点を記録。試合終盤にはジョージ・キングが勝ち越しのフリースローショットを決め、その直後にスティールを奪って勝利を決定づけた。

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1957年:ホークスvsセルティックス

スコアセルティックス 125-123(2OT) ホークス
開催地ボストン・ガーデン
最多得点者ボブ・ペティット:39得点

ビル・ラッセルの負傷によりホークスがセルティックスを破る番狂わせを起こす1年前、ボストンはボブ・ペティット率いるセントルイス・ホークスに対して辛くも勝利を収めた。

ホークスは第1戦と第3戦に勝利。第6戦でも僅差で勝利し、シリーズを第7戦までもつれ込ませた。第7戦はホークスが試合を2度の延長に持ち込むも、ペティットがダブルオーバータイム終了間際に放った最後のショットが決まらず、トリプルオーバータイムには至らなかった。

1957年のこの試合は、NBAファイナル史上唯一、複数回の延長戦が行われた第7戦として記録されている。ビル・ラッセルはこの試合で32リバウンドを記録し、トム・ヘインソーンは37得点、23リバウンドと大活躍を見せた。

1960年:ホークスvsセルティックス

スコアセルティックス 122-103 ホークス
開催地ボストン・ガーデン
最多得点者フランク・ラムジー:24得点

セルティックスとホークスのNBAファイナル4度の対戦のうちの3度目となった1960年のシリーズは、第7戦までもつれ込んだが、ホークスは一度もシリーズのリードを握ることはなかった。その代わり、ホークスはセルティックスが勝利するたびに勝ち返す展開を見せたが、最後は力尽きた。

第7戦では、ボストンが第2Qに圧倒的なパフォーマンスを見せて主導権を握り、そのまま試合を支配して快勝。過去4年で3度目となるフランチャイズの優勝を果たした。

1962年:レイカーズvsセルティックス

スコアセルティックス 110-107(OT) レイカーズ
開催地ボストン・ガーデン
最多得点者エルジン・ベイラー:41得点

これは、ジェリー・ウェストやエルジン・ベイラーが在籍していた時代のレイカーズにとって、数多くの悔しい敗戦のうちのひとつだ。ロサンゼルスはシリーズ2勝1敗、さらに3勝2敗とリードしながらも、セルティックスに巻き返された。

第7戦は再びボストンのホームで行われ、非常にスリリングな試合となった。レイカーズは、試合終了間際に狙ったフランク・セルヴィの決勝ショットが外れ、勝負は延長戦へ。延長の末、セルティックスが勝利を収め、王朝時代を辛くも継続させることに成功した。

1966年:レイカーズvsセルティックス

スコアセルティックス 95-93 レイカーズ
開催地ボストン・ガーデン
最多得点者ジェリー・ウェスト:39得点

1966年、レイカーズはまたしてもセルティックスとの第7戦で僅差の敗北を喫したが、スコアが示すほど接戦だったわけではない。レイカーズは第4Q開始時点で16点のビハインドを背負っており、そこから猛追したものの、結局はボストンが逃げ切り、支配的な時代をさらに延長する結果となった。

なお、この第7戦にたどり着くために、レイカーズはシリーズ第5戦と第6戦を連勝する必要があった。

1969年:セルティックスvsレイカーズ

スコアセルティックス 108-106 レイカーズ
開催地ザ・フォーラム
最多得点者ジェリー・ウェスト:42得点
ファイナルMVPジェリー・ウェスト

1969年も、レイカーズにとって悪夢のような展開が続いた。彼らは2勝0敗、さらに3勝2敗とシリーズをリードしながらも、再びセルティックスに逆転優勝を許すという痛ましい結末を迎えた。レイカーズは第4Qに猛追し、1点差まで詰め寄ったが、終盤の数分間で致命的なターンオーバーを犯し、敵地で敗北。セルティックスの王朝はさらに延命されることとなった。

この敗北は、ウィルト・チェンバレン、ジェリー・ウェスト、エルジン・ベイラーというスター選手を擁しながらも優勝を逃したことで、レイカーズ史上最大の失望とさえ言えるかもしれない。

なお、シリーズには敗れたものの、ジェリー・ウェストは第1回のNBAファイナルMVPに選ばれた。シリーズ敗退チームからの選出は、史上初であり、未だ唯一の例だ。

関連記事:NBAファイナルMVP歴代受賞者一覧

1970年:レイカーズvsニックス

スコアニックス 113-99 レイカーズ
開催地マディソン・スクエア・ガーデン
最多得点者ウォルト・フレイジャー:36得点
ファイナルMVPウィリス・リード

新たな対戦相手となったニックスを迎えても、レイカーズには運が味方しなかった。第6戦では135点を叩き出し、シリーズを第7戦までもつれ込ませたものの、マディソン・スクエア・ガーデンでの最終戦ではその勢いを維持できなかった。

重傷を負いながらも強行出場したウィリス・リードの奮闘に会場が沸き立つ中、ニックスは試合を終始リードし、球団史上初のNBAチャンピオンに輝いた。

1974年:バックスvsセルティックス

スコアセルティックス 102-87 バックス
開催地ミルウォーキー・アリーナ
最多得点者デイブ・コーウェンス:28得点
ファイナルMVPジョン・ハブリチェク

カリーム・アブドゥル・ジャバーとオスカー・ロバートソンを擁したバックスは、1974年に球団2度目の優勝を目指したが、あと一歩のところで届かず。シリーズを通してセルティックスにリードを許しながらも、バックスはその都度勝利を収めて粘りを見せた。

しかし第7戦は敵地ボストンでの試合。バックスは第2Qにセルティックスに主導権を握られると、第4Qにも突き放され、優勝を逃した。セルティックスは1969年以来となる優勝を手にした。

1978年:ブレッツvsソニックス

スコアブレッツ105-99 ソニックス
開催地シアトル・センター・コロシアム
最多得点者マーヴィン・ウェブスター:27得点
ファイナルMVPウェス・アンセルド

1978年のNBAファイナルでは、ソニックスが第1戦・第3戦・第5戦に勝利し、シリーズで3度リードを奪ったが、そのたびにブレッツ(現ウィザーズ)が追いついた。そして最終第7戦、舞台はシアトルだったが、ブレッツが真価を発揮。

ブレッツは第4Q開始時点で2桁のリードを築き、ソニックスの猛追を受けながらも逃げ切り、球団初のNBAチャンピオンに輝いた。なお翌1979年、ソニックスはファイナルでブレッツと再戦し、今度は5試合で優勝を決め、雪辱を果たした。

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1984年:レイカーズvsセルティックス

スコアセルティックス 111-102 レイカーズ
開催地ボストン・ガーデン
最多得点者カリーム・アブドゥル・ジャバー:29得点
ファイナルMVPラリー・バード

この時点でレイカーズはすでに1972年、1980年、1982年と3度の優勝を果たし、「悪夢」を乗り越えていたが、NBAファイナルでセルティックスを破ることだけは、成し遂げられずにいた。そしてこの1984年もまた、その壁を越えることはできなかった。

新世代のレイカーズのスターたちは、ボストンでの第7戦でまたしても苦い敗北を味わうことになる。レイカーズは第4Q開始時で13点ビハインドを負っており、セルティックスのセドリック・マックスウェルの活躍もあり、点差を縮められず優勝を逃した。

1988年:レイカーズvsピストンズ

スコアレイカーズ 108-105 ピストンズ
開催地ザ・フォーラム
最多得点者ジェームズ・ウォージー:36得点
ファイナルMVPジェームズ・ウォージー

ピストンズがついにセルティックスを打ち破り、イースタン・カンファレンスを制したあと、彼らはレイカーズに対して3勝2敗とシリーズをリードし、NBA初優勝に手が届く位置にいた。

第6戦では、エースのアイザイア・トーマスが深刻な足首の負傷を押して出場し、チームを勝利目前まで導く驚異的なパフォーマンスを見せた。しかし第7戦では、その影響で彼の動きが大きく制限され、ピストンズは第4Qのビハインドを埋めることができなかった。

レイカーズはジェームズ・ウォージーが36得点、16リバウンド、10アシストのトリプルダブルを記録する大活躍を見せ、ファイナルMVPにも輝いた。

1994年:ロケッツvsニックス

スコアロケッツ 90-84 ニックス
開催地ザ・サミット
最多得点者アキーム・オラジュワン:25得点
ファイナルMVPアキーム・オラジュワン

1994年のNBAファイナルは、第5戦と同時に起きたOJ・シンプソン事件で有名かもしれないが、ロケッツにとっては2連覇の最初のタイトルとして記憶されている。ヒューストンは第6戦で僅差の勝利を収め、ニックスの優勝を阻止した。

第7戦ではアキーム・オラジュワンの力強い活躍が地元での優勝を決定づけた。一方、ニックスのジョン・スタークスはこの試合でフィールドゴール18本中2本しか成功せず、3ポイントショットは11本すべて失敗した。

2005年:ピストンズvsスパーズ

スコアスパーズ 81-74 ピストンズ
開催地SBCセンター
最多得点者ティム・ダンカン:25得点
ファイナルMVPティム・ダンカン

2005年のNBAファイナルは、当時のリーグ最強チーム同士の対決となり、その名にふさわしい白熱したシリーズとなった。連覇を目指すピストンズは、スパーズにシリーズ序盤で2連敗を喫したものの、その後2勝を返し、第6戦でも勝利にしたことで、敵地での第7戦に持ち込んだ。

第7戦は非常にフィジカルな展開となり、ピストンズはわずか74得点に抑えられた。ティム・ダンカンが25得点のダブルダブルを記録してチームを牽引し、スパーズは3度目の優勝、過去3年間で2度目のチャンピオンに輝いた。

2010年:セルティックスvsレイカーズ

スコアレイカーズ 83-79 セルティックス
開催地ステイプルズ・センター
最多得点者コービー・ブライアント:23得点
ファイナルMVPコービー・ブライアント

レイカーズは2010年のNBAファイナルの最後の2試合に勝利し、コービー・ブライアントは5度目の優勝を果たした。その優勝は、何よりもディフェンスによってもたらされた。レイカーズはセルティックスを第6戦でわずか67得点、第7戦でも79得点に抑えた。

特に第7戦では、ブライアントがフィールドゴール24本中6本成功のみに終わったにもかかわらず、レイカーズは勝利を収めた。セルティックスは終盤に何度も追い上げを試み、2回は1回の得点差まで詰め寄りましたが、レイカーズはフリースローの助けを借りて逃げ切りました。試合終盤、セルティックスに何度も1ポゼッション差まで迫られるも、レイカーズはフリースローの得点で逃げ切った。

2013年:スパーズvsヒート

スコアヒート 95-88 スパーズ
開催地アメリカン・エアラインズ・アリーナ
最多得点者レブロン・ジェームズ:37得点
ファイナルMVPレブロン・ジェームズ

2013年のNBAファイナル第7戦は、第6戦のようなレイ・アレンによる劇的な同点3Pショットのような名場面こそなかったものの、試合全体を通して非常に拮抗した戦いとなった。

スパーズは残り1分を切った場面で2点ビハインドまで詰め寄り、同点または逆転のチャンスがあったが、ティム・ダンカンのリング際でのショットはリングに嫌われる。その後ヒートに逃げ切られ、連覇を許す結果となった。しかし、翌年スパーズはリベンジを果たし、ヒートの「ビッグスリー」を分裂させることになった。

2016年:キャバリアーズvsウォリアーズ

スコアキャバリアーズ 93-89 ウォリアーズ
開催地オラクル・アリーナ
最多得点者ドレイモンド・グリーン:32得点
ファイナルMVPレブロン・ジェームズ

2016年のNBAファイナル第7戦は、これまでにない緊張感に包まれていた。NBA史上シーズン最多勝となる73勝を記録したシーズンを締めくくるべく、優勝でシリーズを終わらせようとしたが、3勝1敗のリードから2連敗を喫して迎えたこの最終戦で運命が決した。

この試合はシリーズで唯一、両チームともに100点未満にとどまった試合で、第4Qはわずか両チーム合わせて31得点という非常にタイトな展開に。残り1分を切ったところで、カイリー・アービングが89-89の同点から決勝の3ポイントショットを沈め、その後のステフィン・カリーの最後のショットも外れ、レブロン・ジェームズ率いるキャバリアーズが歴史的な勝利を収めた。

関連記事:NBAプレイオフの歴史でシリーズ1勝3敗から逆転したチームはいくつ?

2025年:ペイサーズvsサンダー

スコアペイサーズ - サンダー
開催地ペイコム・センター
最多得点者 
ファイナルMVP 

ペイサーズとサンダーは、NBAファイナル史上20回目の第7戦でオクラホマシティで対戦する。ペイサーズはチーム初のNBAチャンピオン獲得を目指しており、一方のサンダーはレギュラーシーズン68勝の勢いのまま、1979年のシアトル時代以来となる初タイトルを狙う。

関連記事:NBAファイナル2025の試合日程・結果速報・放送予定まとめ

NBAファイナル第7戦 最も象徴的なパフォーマンス

1957年:トム・ヘインソーン(セルティックス)

  • 37得点
  • 23リバウンド
  • フィールドゴール:17/33(成功率51.5%)

1957年のNBAファイナル第7戦でセルティックスがボブ・ペティット率いるホークスを退けるためには、2人の選手による素晴らしい個人パフォーマンスが必要だった。トム・ヘインソーンは37得点、23リバウンドを記録し、ビル・ラッセルはルーキーシーズンの締めくくりとして32リバウンドという圧巻の数字を残した。

ヘインソーン自身もルーキーでありながら、シリーズ最終戦でフィールドゴール成功率50%超えの活躍を見せ、ファイナル中でも最も多い得点を記録。リバウンドでもラッセルが支配していたにもかかわらず、彼自身も圧倒的な存在感を発揮した。セルティックスが最も助けを必要としていた場面でのこの活躍は、まさに決定的なものだった。

1969年:ジェリー・ウェスト(レイカーズ)

  • 42得点
  • 13リバウンド
  • 12アシスト
  • フィールドゴール:14/29(成功率48.3%)

ジェリー・ウェストが敗れたチームとして史上初のNBAファイナルMVPを受賞するには、特別な活躍が必要だった。その試合でウェストは42得点、13リバウンド、12アシストという驚異的なトリプルダブルを記録したが、レイカーズは再びセルティックスに及ばず敗れた。

レイカーズは地元ファンの声援を背に、セルティックス相手に猛烈な逆転劇を試みたが、あと一歩のところで届かず。とはいえ、ウェストのこのパフォーマンスは、NBAファイナル第7戦で敗れた選手の中でも、史上最高のものの一つとして語り継がれている。

1970年:ウィリス・リード(ニックス)

  • 4得点
  • 3リバウンド
  • 1アシスト

ウィリス・リードがNBAファイナル第7戦で最も象徴的なパフォーマンスのひとつとして語り継がれているのは、彼のスタッツではなく、「彼が出場した」という事実そのものだ。

深刻な脚のケガによりシリーズ離脱と見られていたリードは、第7戦のレイカーズ戦前にウォームアップを行い、出場を決断。そして試合開始早々、ニックスの最初の2本のショットを沈め、マディソン・スクエア・ガーデンの観客を熱狂させた。そのエネルギーがチームを後押しし、彼の出場時間や得点は限られていたものの、ニックスは快勝を収めることとなった。

1988年:ジェームズ・ウォージー(レイカーズ)

  • 36得点
  • 16リバウンド
  • 10アシスト
  • フィールドゴール:15/22(成功率68.2%)

1988年のNBAファイナル第7戦におけるジェームズ・ウォージーのパフォーマンスは、「勝てば優勝、負ければ終わり」の大一番における歴代最高のパフォーマンスと言っても過言ではない。

この試合でウォージーは、フィールドゴール22本中15本成功という高確率で36得点を挙げ、さらに16リバウンド、10アシストを記録するトリプルダブルを達成した。レイカーズはこの試合であらゆる助けを必要としていたが、彼の活躍はまさに決定的だった。

相手のピストンズは、エースのアイザイア・トーマスが負傷を抱えながらも奮闘していたが、レイカーズがわずか3点差で逃げ切り、シリーズで2勝3敗と追い込まれていた状況から逆転でチャンピオンに輝いた。

1994年:アキーム・オラジュワン(ロケッツ)

  • 25得点
  • 11リバウンド
  • 7アシスト
  • 3ブロック

1994年のNBAファイナルでは、ロケッツとニックスの両チームがディフェンスを重視したシリーズとなったが、第7戦ではアキーム・オラジュワンがオフェンス面で存在感を発揮し、ロケッツを勝利へ導いた。

オラジュワンは、フィールドゴール25本中10本成功とやや効率を欠きながらも、25得点、11リバウンド、7アシスト、さらに3ブロックを記録し、優勝がかかった大一番であらゆる面で貢献した。

この活躍により、オラジュワンは自身初となるファイナルMVPを受賞した。

2013年:レブロン・ジェームズ(ヒート)

  • 37得点
  • 12リバウンド
  • 4アシスト
  • フィールドゴール:12/23(成功率52.2%)

2012年、ヒート2年目にして初の優勝を果たすまでは、レブロン・ジェームズが「大一番に弱い」という声が多くあった。そんな中で迎えた2013年のNBAファイナル第7戦は、彼にとって初めてのファイナルの最終決戦だったが、そのプレッシャーの中でも見事なパフォーマンスを披露した。

ジェームズはヒートの95得点のうち37得点を叩き出し、さらに12リバウンドを記録。フィールドゴール成功率も50%超えの効率的な内容だった。試合終盤には勝利を決定づけるジャンパーも沈め、マイアミを連覇に導いた。

第7戦が最も多いNBAチーム

第7戦の最多勝利数

セルティックスとレイカーズがNBAファイナル第7戦で2勝以上を挙げた唯一のチームとなっている。

チーム勝利数
セルティックス7
レイカーズ4
76ers1
キャバリアーズ1
ヒート1
キングス1
ニックス1
ロケッツ1
スパーズ1
ウィザーズ1

76ers、キングス、ウィザーズはそれぞれ現在とは異なる名前でNBAファイナル第7戦に勝利している。

関連記事:NBA歴代優勝チーム一覧・通算優勝回数リスト

第7戦の最多試合数

レイカーズはNBAファイナル第7戦への出場回数が9回と最多で、次いでセルティックスが8回となっている。他に2回以上出場しているのは、ニックスとピストンズのみだ。

チーム試合数
レイカーズ9
セルティックス8
ニックス4
ピストンズ3
76ers2
ホークス2
サンダー2
スパーズ2
バックス1
キャバリアーズ1
ヒート1
キングス1
ペイサーズ1
ロケッツ1
ウォリアーズ1
ウィザーズ1

サンダーはソニックス時代を含めNBAファイナル第7戦に2度目の出場となるが、ペイサーズは初出場となる。

NBAファイナル第7戦の最多スタッツ

最多得点保持者

1969年のNBAファイナル第7戦、ジェリー・ウェストはレイカーズで42得点を挙げ、これが最多得点記録となっている。第7戦での最多得点トップ3はいずれも敗戦時のものであり、レブロン・ジェームズが2013年に挙げた37得点が優勝チームの選手による最多得点である。

最多リバウンド保持者

1962年のNBAファイナル第7戦、ビル・ラッセルはセルティックスで40リバウンドを記録した。

最多アシスト保持者

1970年のNBAファイナル第7戦、ウォルト・フレイジャーはニックスで19アシストを記録した。

関連記事:NBAファイナルの1試合最多記録:得点・リバウンド・アシスト・スティール・ブロック

最大得点差での勝利

1960年のNBAファイナル第7戦、セルティックスがホークスに122対103で勝利した試合は、19点差での勝利となった。 

最年長優勝選手

1988年のNBAファイナル第7戦、カリーム・アブドゥル・ジャバーは40歳で勝利し、NBAファイナル第7戦に勝利した最年長選手となった。

最年少優勝選手

ウォーカーより若くして優勝した選手は十数人以上いるが、元ワシントン・ブレッツ(現ウィザーズ)のフィル・ウォーカーは、1978年に22歳​​で優勝し、NBAファイナル第7戦に勝利した最年少選手となっている。なお、1977-78シーズンはウォーカーにとって唯一のNBAシーズンだった。

原文:Every Game 7 in NBA Finals history: Complete list of matchups, scores, winners and more to know
抄訳:佐藤瑞紀(スポーティングニュース日本版)

Dan Treacy

Dan Treacy is a content producer for Sporting News, joining in 2022 after graduating from Boston University. He founded @allsportsnews on Instagram in 2012 and has written for Lineups and Yardbarker.

佐藤瑞紀 Mizuki Sato

京都府生まれ、立命館大学卒。The Sporting Newsのアシスタントエディター。大学在学中は、ファッションに携わり、Levi'sやセレクトショップでスタッフとしてキャリアをスタート。大学卒業後に上京し、ファッションとカルチャーを結びつけた記事を執筆。バスケ未経験ながら、2015年にカリーのプレーに魅了され、NBA観戦が大好きになる。