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前オーナーのバス家とレイカーズの歴史:1979年の買収以降にバス家がもたらしたレイカーズ栄光の数々

佐藤瑞紀 Mizuki Sato

Daniel Mader

前オーナーのバス家とレイカーズの歴史:1979年の買収以降にバス家がもたらしたレイカーズ栄光の数々 image

ロサンゼルス・レイカーズの歴史を語る上で、バス家の存在を欠かすことはできない。

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ジェリー・バスと娘ジーニー・バスは、数十年にわたりプロスポーツ界で最も象徴的なフランチャイズの1つ、そしてNBAでも屈指の経済力を持つクラブを率いてきた。

1979年から2025年まで、バス家はレイカーズの筆頭オーナーであり続けた。この間、チームはマジック・ジョンソンやカリーム・アブドゥル・ジャバー、コービー・ブライアント、レブロン・ジェームズといったスター選手を擁し、数多くの優勝を成し遂げてきた。

そして現地時間6月18日、ジーニー・バスとバス家は、約100億ドル(約1.45兆円)でレイカーズの筆頭オーナー権をマーク・ウォルターに売却することで合意した。これは米国プロスポーツ史上最大の売却となる見込みだ。ジーニーは引き続きチームガバナーとしての地位に留まる予定となっている。(1ドル=145円換算)

これは、1979年にわずか数千万ドルでチームを購入したバス家が、2025年に100億ドルで売却するというまさに「アメリカンドリーム」の終着点でもある。

ここでは、バス家によるレイカーズ所有期間の歴史をまとめた。

バス家が率いたロサンゼルス・レイカーズの年表

1979年:ジェリー・バスがレイカーズ、LAキングス、ザ・フォーラムを6750万ドルで購入

レイカーズはもともと、1946年にNBL(ナショナル・バスケットボール・リーグ)で活動を始めた際には「デトロイト・ジェムズ」という名称だった。1年後にフランチャイズはミネソタへ移転し、「ミネアポリス・レイカーズ」に改名。初期の数年間で何度かオーナーが交代した。

しかし1960年、ミネソタで財政的な損失が続いたことから、チームはロサンゼルスへ移転すると、そこから成功を収め始める。

1965年、当時NFLのワシントン・レッドスキンズのオーナーだったジャック・ケント・クックが、当時としてはNBA史上最高額となる517.5万ドルでレイカーズを購入。後に新アリーナ「ザ・フォーラム」の建設資金も提供した。

その後1979年、クックは離婚を機にチームから手を引くことを決断。結果的に、NBAのレイカーズ、NHLのLAキングス、そしてザ・フォーラムをまとめて、当時ロサンゼルスにて不動産業で成功していたジェリー・バスに6750万ドルで売却した。ジェリーはその後、1988年にキングスの所有権を手放すことに。

さらに、ジェリーは1996年に新たに設立されたWNBAチーム「ロサンゼルス・スパークス」の運営権も取得。しかし、10年後にそのチームも売却している。

ジェリーがレイカーズを購入した時点で、チームはNBAでの優勝は1回のみだった。しかし彼のリーダーシップのもと、2013年に亡くなるまでにさらに10回の優勝を成し遂げた。

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1980年:バス家の所有初年度にレイカーズがNBA優勝

ジェリーがオーナーに就任してから、レイカーズがチャンピオンシップを手にするまで時間はかからなかった。1979年のNBAドラフトでマジック・ジョンソンを全体1位で指名したレイカーズは、そのシーズンに60勝を挙げ、ファイナルでは76ersを破って優勝を果たした。

多くの意味で、これはジョンソンとアブドゥル・ジャバーを中心とする新時代の幕開けであり、レイカーズがアメリカスポーツ界でも最も有名なフランチャイズのひとつへと成長していく礎となった。

1980〜88年:「ショータイム」レイカーズが5度の優勝を達成

1980年の優勝を皮切りに、レイカーズはこの10年間でさらに4度の優勝を果たす。ジョンソン、アブドゥル・ジャバー、ジェームズ・ウォージーを中心としたチームは、NBAを代表する存在として、しばしばボストン・セルティックスとのライバル対決を繰り広げた。両者は世界的にも最も象徴的なNBAチームとして知られている。

レイカーズは1982年、1985年、1987年、1988年にチャンピオンに輝き、その華やかなプレースタイルから「ショータイム」というニックネームを獲得。ジョンソンが司令塔を務める攻撃的でスピーディーなバスケットボールは、多くのファンを魅了した。

その後、アブドゥル・ジャバーとジョンソンが数年のうちに引退し、レイカーズは一時的にNBAの主役から退くことになるが、その間にマイケル・ジョーダン率いるシカゴ・ブルズが台頭。それでも、ジェリーのレイカーズは再び優勝争いに戻ってくることになる。

1994年:マジック・ジョンソンがレイカーズの小規模株を取得

1994年、HIV感染による最初の引退から数年が経ち、レイカーズの臨時コーチも務めていたジョンソンは、ジェリーからチームの株式5%を約1000万ドルで購入した。

その後、ジョンソンは2010年にこの持ち株を非公開の金額で売却し、2010年代後半にはレイカーズのバスケットボール運営部門の社長を務めたが、のちにその役職を退いている。

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2000〜02年:コービー・ブライアントとシャキール・オニール率いるレイカーズの3連覇

ジェリーの所有下で、レイカーズが再び黄金期を迎えたのが2000年代初頭だった。1996年、チームは若き天才コービー・ブライアントを獲得し、さらにシャキール・オニールをフリーエージェントで獲得する。

この2つの補強は、球団史に残る大成功となる。ブライアントがスーパースターへと成長し、チームが本格的に優勝争いに加わるまでには数年を要したが、1999-2000シーズンにフィル・ジャクソンがヘッドコーチに就任し、同シーズンのステイプルズ・センター元年でNBAチャンピオンに輝く。

その後もブライアントとオニールのコンビが主導し、2001年と2002年に連続優勝を達成。オニールは3年連続でファイナルMVPに選ばれた。この王朝は、2004年のNBAファイナルでデトロイト・ピストンズに敗れた後、オニールがマイアミ・ヒートにトレードされて幕を閉じたが、この時期もレイカーズの歴史に残る栄光の時代となった。

2009〜2010年:コービー・ブライアントを中心にレイカーズが2連覇達成

2000年代を通じてレイカーズには依然としてスター選手ブライアントが在籍していたが、再び優勝争いに復帰するまでにはやや時間がかかった。しかし、ブライアントが2007-08シーズンにMVPを獲得した後、チームは2008年から2010年にかけて3年連続でNBAファイナル進出を果たす。これは、ブライアントとパウ・ガソルのトレードによるコンビ結成が大きな要因だった。

2007-08シーズンには、ファイナルでセルティックスに敗れたが、翌2008-09シーズンにはマジックを下して優勝。さらに2009-10シーズンには、因縁のセルティックスにリベンジを果たして2連覇を達成した。

また、2010年にはレイカーズがNBA史上初の通算10000勝を記録し、バス家が球団の筆頭オーナーとなって以来、長年の成功を象徴する大きな節目となった。

2010年:ジェリー・バスがバスケットボール殿堂入り

2010年、レイカーズのオーナーとしてNBAに多大な貢献を果たしたジェリーがネイスミス・バスケットボール殿堂入りを果たした。殿堂の公式ウェブサイトに掲載されたジェリーの紹介文には、彼が「ロサンゼルスという街、そしてバスケットボールという競技に残した足跡」が称えられている。

「史上最高の選手たちを結びつけ、優れたコーチ陣や革新的な経営手法、そして先進的なマーケティングとともに、バスはNBAフランチャイズのオーナーとしての標準を築き上げた」と殿堂の紹介文には記されている。

2013年:ジェリー・バスが死去、レイカーズの経営はジーニー・バスら6人の子どもへ継承

2013年2月18日、ジェリー・バスが80歳でこの世を去った。彼の死去時、レイカーズの球団価値はフォーブスによって10億ドルと評価されていた。

バスの死後、レイカーズの66%の過半数株式は彼の6人の子どもたちに信託を通じて引き継がれた。それぞれの子どもに平等な投票権が与えられた。当時、娘のジーニーはすでに長年にわたりレイカーズのビジネス部門担当の副社長を務めており、息子のジム・バスはバスケットボール部門担当副社長という肩書を持っていた。

ジェリーは生前、ジーニーをレイカーズの代表者およびNBA理事会の代表として指名しており、彼女は球団のビジネス運営のトップとしての権限を持つことになった。ジムはバスケットボール部門を引き続き担当したが、最終的な運営権限はジーニーにあった。

当時バス一家は、「球団を売却するつもりはない」とESPNに発表し、「この組織の未来は変わらない。6人の子どもたちは全員一致で球団を将来にわたって家族で保有し続けることに合意した」と語った。

6人の子どもたちは個別に株を所有していたわけではなく、信託を通じて家族全体で運営していたため、誰かが個人的に持ち分を売却することはできなかった。ただし、6人中4人が売却に賛成すれば、球団の売却は承認可能という仕組みになっていた。

2017年:ジーニー・バスがジム・バスをバスケットボール部門責任者から解任、チームの生涯運営権を獲得

2017年、レイカーズのバス家の経営権にまた一つの大きな変化があった。ジーニーとジムは、フランチャイズの意思決定をめぐって以前から意見が対立しており、2012年のマイク・ダントーニのヘッドコーチ就任や、フリーエージェント獲得に関する判断などで不一致が続いていた。

2017年2月、ジーニーは、2013-14シーズンから2016-17シーズンまでレイカーズがプレイオフ進出を逃したことを受けて、ジムをバスケットボール部門副社長の職から解任した。ESPNによると、ジーニーは以前から重要なバスケットボール関連の決定について兄に相談するよう求めていたが、ジムはそれをしなかったため、ジーニーはチームの最高権限者としてこの重大な決断を下した。

ジムの解任により、マジック・ジョンソンがバスケットボール部門の社長に、ロブ・ペリンカがゼネラルマネージャーにそれぞれ就任することになった。この頃、ジョニー・バスもジーニーのチームでの役割を剥奪し、自身が退くことを試みたが、ジーニーは自身のレイカーズに対する権限を確認するために訴訟を起こした。

ジェリーが設立した信託の継承計画と、ジムに役割を果たす時間を十分に与えたことを根拠に、ジーニーは正式にレイカーズの生涯運営権を与えられ、実質的にバス家の誰がチームを支配しているのかという疑問に終止符が打たれた。

2018年:レイカーズがレブロン・ジェームズを獲得し、新時代の幕開けを告げる

バス兄弟の間の対立が解消され、ブライアントの引退後にレイカーズが再び全国的な注目を集めるための活力を求めていた中、スーパースターのレブロン・ジェームズが2018年にフリーエージェントでチームに加入した。

翌シーズンにはスターのビッグマン、アンソニー・デイビスも獲得し、ジーニーとペリンカがフロントオフィスを率いて、レイカーズに再び新たな時代が訪れた。

2020年:レイカーズがバス家時代最後の優勝を飾り、セルティックスと最多タイトル数で並ぶ

ジェームズとデイビスがチームを牽引し、レイカーズはコロナパンデミックによるバブル環境下で開催された2019-20シーズンのNBAチャンピオンに輝いた。これは彼らにとって17回目の優勝で、当時のNBA歴代最多タイトル数を誇るセルティックスと並んだ。(ボストンはその後2024年に18回目の優勝を果たす)

また、このタイトルはレイカーズにとってバス家時代最後の優勝となった。

2021年:マーク・ウォルターがレイカーズの20%の株式を購入し、チーム売却時の優先購入権を取得

2021年、ロサンゼルス・ドジャースの共同オーナーであるマーク・ウォルター氏とトッド・ボーリー氏は、それぞれレイカーズの少数株を購入した。ウォルター氏の保有株は20%、ボーリー氏の保有株は7%だった。

しかし、より重要なのはウォルターとボーリーがバス家がチームを売却する場合に、その売却を拒否できる権利も取得したと報じられていることだ。これは、2025年にバス家からウォルターへのオーナー権の移行が始まる最初の兆候となった。

2025年:バス家がレイカーズを100億ドルで売却と報道

同6月18日、ESPNのシャムズ・シャラニア記者は、バス家がレイカーズの株式の過半数をマーク・ウォルターに対し、驚愕の100億ドルで売却する契約を結んだと報じた。なお、ジーニーは引き続きチームの代表としての役職を維持するとのことだ。

この売却はスポーツチーム史上最高額の取引となり、1979年にジェリーがチームを購入して以来、バス家にとって数十億ドルの利益をもたらしたことになる。

また、シャラニア記者は、バス家がレイカーズの株式の約15%以上を引き続き保有することになるとも伝えている。

バス家の純資産

2025年6月時点で、ジーニーの純資産は7億ドル(約1015億円)と推定されている。しかし、報道されているレイカーズの過半数株式の100億ドル(約1.45兆円)での売却によって、ジーニーを含む兄弟姉妹たちの資産状況は大きく変わる見通しだ。

さらに、バス家は引き続きレイカーズの少数株主としての立場を維持するとされており、その保有分も今後の資産に影響を与える要素となる。

バス家によるレイカーズ運営下での成績

ジェリーが過半数のオーナーとして初めてシーズンを迎えたのは 1979-80シーズンであり、バス家が過半数の所有権を持った最後のシーズンは2024-25シーズンだった。

この期間中、レイカーズはレギュラーシーズン通算2236勝1467敗(勝率.604)という成績を残した。これは、82試合制のレギュラーシーズンで平均約50勝に相当する。

また、同期間にロサンゼルス・レイカーズはNBAチャンピオンを11回獲得した。

原文:Buss family timeline with Lakers: Full history of ownership, from Dr. Jerry to daughter Jeanie
抄訳:佐藤瑞紀(スポーティングニュース日本版)

佐藤瑞紀 Mizuki Sato

京都府生まれ、立命館大学卒。The Sporting Newsのアシスタントエディター。大学在学中は、ファッションに携わり、Levi'sやセレクトショップでスタッフとしてキャリアをスタート。大学卒業後に上京し、ファッションとカルチャーを結びつけた記事を執筆。バスケ未経験ながら、2015年にカリーのプレーに魅了され、NBA観戦が大好きになる。

Daniel Mader

Daniel Mader is a Content Producer for The Sporting News. He joined SN in 2024 as an editorial intern following graduation from Penn State University. He has previously written for Sports Illustrated, NBC Sports, the Centre Daily Times, the Pittsburgh Post-Gazette, The Daily Collegian and LancasterOnline. Daniel grew up in Lancaster, Penn., with a love for baseball that’ll never fade, but could also talk basketball or football for days.