NBAプレイオフはカンファレンス決勝が開幕した。今年も優勝チームが1つ決まり、NBAキャリアに優勝という栄誉を加える選手もいるだろう。
ただ、優勝に手が届かなかったNBA選手は多くいる。ここでは優勝経験のないNBAレジェンドのトップ10のうち、1位から5位を紹介する。
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優勝経験のないNBAレジェンド 1位~5位

5位:エルジン・ベイラー
- オールスター×11
- オールNBA1st×10
- 新人王
ベイラーの運動能力、多才さ、得点力は、1950年代後半から1960年代にかけてフォワードポジションに革命をもたらした。
キャリア平均27.4得点、13.5リバウンド、4.3アシストは、今日でも際立っている。彼は1960年の試合で71得点を挙げ、当時のNBA記録を樹立したが、これは彼のオフェンシブな才能の証である。
彼の卓越したパフォーマンスも実らず、ベイラー率いるレイカーズはNBAファイナルで、ビル・ラッセル率いるボストン・セルティックスの前に何度も敗れた。1965年の膝の致命的な怪我は、晩年のベイラーの足かせとなった。
ベイラーがレイカーズがタイトルを獲得する直前の1971-72シーズンに引退したことは、彼のキャリアにとってあまりに惜しすぎる決断だった。
ベイラーのアクロバティックなプレイと独創的な得点力は、ジュリアス・アービングやマイケル・ジョーダンのような現代のフォワードへの道を開いた。
HoopsHypeはベイラーを以下のように評している。
「エルジン・ベイラーは、ビッグマンでないにもかかわらず、得点とリバウンドで驚異的な数字を叩き出し、ずば抜けた運動能力でファンを驚かせたレジェンドの1人である。しかし、チャンピオンになることはなく、セルティックスに何度も敗れた。ベイラーは、カリーム・アブドゥル・ジャバーと同じくらい多くオールNBA1stチームに選ばれたのだ」

4位:スティーブ・ナッシュ
- MVP×2
- オールスター×8
- アシスト王×5
ナッシュのプレーメイキングとシュート力は、ポイントガードポジションに革命をもたらした。2004年から2012年までフェニックス・サンズに在籍したナッシュは、平均16.3得点、10.1アシスト、FG成功率50.6%、3PT成功率43.3%を記録。
彼の高火力なオフェンスを指揮する能力は、サンズを長年にわたる優勝候補に押し上げたが、サンアントニオ・スパーズや怪我に阻まれ、ファイナルに進出することはなかった。
ナッシュの2004-05と2005-06のMVP受賞は、カール・マローンなどのレジェンドに続く連続受賞となり、彼の全盛期に弾みをつけた。
キャリアで平均14.3得点、8.5アシスト、FG成功率49.0%、3PT成功率42.8%という数字が、ナッシュの効率の良さを物語っている。
ナッシュの4度の50-40-90(FG成功率50%、3PT成功率40%、FT成功率90%以上を記録すること)達成は、NBA史上でも比類なきものである。ナッシュは現代のハイペースなスペース・オフェンスとステフィン・カリーのような選手に影響を与えた。
HoopsHypeはナッシュを以下のように評している。
「マイク・ダントーニのサンズのもとで、スティーブ・ナッシュがバスケットボールを進化させたのは、彼が魔術師のようにピック&ロールを操り、当時はさほど一般的ではなかった、3PTシュートやドリブルからのシュート能力を持っていたからである。ナッシュの2度のMVP受賞はかなり物議を醸したが、彼が同世代で最も優れた選手の一人であることに議論の余地はない」

3位:アレン・アイバーソン
- MVP×1
- オールスター×11
- 得点王×4
身長約185cmのアイバーソンは、大きな選手を相手に果敢にドライブで挑み、キャリアで平均26.7得点を挙げ、4度の得点王を獲得した。
フィラデルフィア・76ersをNBAファイナルに導いた2000-01シーズンには、圧倒的な強さを誇るレイカーズに対して、独力でチームを牽引する彼の能力を見せつけた。アイバーソンのクロスオーバー、スピード、得点力はガードのポジションに革命を起こし、サイズの小さい選手たちに刺激を与えた。
優勝経験こそないものの、アイバーソンの残した功績は絶大だ。オールスターに11回、オールNBAに7回選出され、1996-97シーズンには新人王を受賞。彼の粘り強さ、怪我を乗り越えてのプレー、出場時間の多さは、リーグ全体から尊敬を集めた。
アイバーソンの文化的な影響力もまた、NBAのスタイルを一新し、ファンとの結びつきを強めた。チームメイトには恵まれなかったが、彼個人の輝きが衰えることはなかった。
HoopsHypeはアイバーソンを以下のように評している。
「文化的アイコンであり、同時代最高のリードガードの一人でもあったアレン・アイバーソンは、スポーツ界がこれまで見てきた選手の中でも、とんでもなく爆発的なアスリートの一人であったに違いない。アイバーソンのクロスオーバーは破壊的であり、スコアラーとしての彼のプレイスタイルは、全盛期を通して世界中を魅了し続けた」

2位:チャールズ・バークレー
- MVP×1
- オールスター×11
- オールNBA1st×5
バークレーは198cmのパワーフォワードとして、力強さと俊敏さ、そして繊細さを兼ね備えた稀有な選手として一世を風靡した。16シーズンで平均22.1得点、11.7リバウンドを記録したバークレーは、リバウンドマシンと点取り屋として、自分よりも大きい相手を圧倒し続けた。
1993年フェニックス・サンズでの絶頂期には、1試合平均27.3得点、13リバウンドを記録。しかし、マイケル・ジョーダンのブルズ王朝を前に、彼はファイナルで惜しくも敗れた。
1987年のプレーオフでのパフォーマンス(25.2得点、14.8リバウンド)のような粘り強さが彼を象徴したが、レイカーズ、セルティックス、ブルズといった強豪チームがひしめく時代が、彼とタイトルを無縁のものにした。彼のカリスマ性と飾らない性格もまた、ファンを魅了し、彼のレガシーの一部となった。
HoopsHypeはバークレーを以下のように評している。
「"リバウンドマシン "と呼ばれたチャールズ・バークレーは、その飾らない性格や、小柄な体格にもかかわらず、リムで圧倒的な強さを誇ったことで極めてユニークな存在だった。全盛期には、その驚異的な強さと爆発力のおかげで、支配的な選手だった。バークレーがリングを手にすることはなかったが、パワーフォワードとして史上最高の選手の一人であることに間違いはない」

1位:カール・マローン
- MVP×2
- オールスター×14
- オールNBA1st×11
マローンはユタ・ジャズで18シーズンにわたり、MVP級のプレイを披露。ジョン・ストックトンとのピック&ロールでジャズのオフェンスを牽引し、2度のファイナル進出(1997年、1998年)を果たしたが、いずれもマイケル・ジョーダンに阻まれた。
マローンの耐久力(通算1,476試合)と得点力(平均25.0得点)は、彼の2度のリーグMVP(1997年、1999年)獲得の大きな要因だ。
屈強なディフェンダーでもあったマローンは、平均1.4スティールを記録し、4度のオールディフェンシブ入りを果たした。2003-04年にレイカーズに移籍したものの、怪我とデトロイト・ピストンズに阻まれリングには届かなかった。
NBAはマローンを以下のように評している。
「カール・マローンは間違いなく史上最高のパワーフォワードである。バスケットボール選手というより、タイトエンド(アメリカンフットボールのポジションの1つ)のような体格で、ファストブレイクでは先頭を走り、強力なミドルジャンパーを放った。2度のMVPに輝いた彼は、カリーム・アブドゥル・ジャバーに次ぐ(当時は通算得点でジャバーが1位)36,928得点を挙げてキャリアを終えた」
「彼はまた、NBA史上最も多くのフリースローを試み、多くのディフェンスリバウンドを記録した。50周年記念オールタイムチームにも選ばれ、2つのオリンピック金メダルを獲得した。コート上で常に結果を出し続けた選手として、彼は "メール・マン"という肩書きにふさわしい」