メジャーリーグに到達するのは簡単なことではない。ほとんどの高校野球選手は、大学、マイナーリーグ、そしてMLBといったより高いレベルでプレイすることなく終わる。しかし、もし父親がかつての野球スターだった場合、少しだけ有利な立場にあるのかもしれない。
MLBの歴史を振り返ると、華々しい実績を持つ親子は数多く存在する。選手だけでなく、監督、コーチ、フロントオフィスの幹部など、親の足跡をたどって野球界でキャリアを築いた例も珍しくない。そのため、有名な名字が世代を超えて再び現れることもしばしばある。
たとえば、2025年のワールドシリーズに出場したトロント・ブルージェイズを見てみよう。チームのロスターには、父親もMLB選手だった選手が3人もいる。
ブラディミール・ゲレーロ・ジュニア(父:ブラディミール・ゲレーロ・シニア)、ボー・ビシェット(父:ダンテ・ビシェット)、ダルトン・バーショ(父:ゲイリー・バーショ)は、いずれも野球一家に生まれ、ついに野球界の頂点にたどり着きそうな選手たちだ。
MLBの長い歴史の中では、彼ら以外にも、それぞれのキャリアで輝きを放った父子コンビが数多く存在する。
ここでは、両者の実績や功績を総合的に評価し、MLB史上最高の「父子デュオ」21組をランキング形式でまとめる。
21. フェルナンド・タティスとフェルナンド・タティス・ジュニア

フェルナンド・タティス(1997-2010)
- チーム: テキサス・レンジャース、セントルイス・カージナルス、モントリオール・エクスポズ、ボルチモア・オリオールズ、ニューヨーク・メッツ
- 成績: 949試合、807安打、113本塁打、448打点、50盗塁、OPS.785、WAR6.3
- 受賞歴: なし
フェルナンド・タティスJr.(2019年~現役)
- チーム: サンディエゴ・パドレス
- 成績: 671試合、720安打、152本塁打、393打点、124盗塁、OPS.868、WAR27.2
- 受賞歴: オールスター3回、ゴールドグラブ賞1回、プラチナグラブ賞1回、シルバースラッガー賞2回
フェルナンド・タティス親子は、どちらも若くしてMLB球団と契約した。父フェルナンド・タティスSr.は、複数の球団で三塁手としてプレイし、堅実な打撃を見せた。一方、息子フェルナンド・タティスJr.は、リーグでも屈指の多才なスター選手へと成長している。
シニアの11年のキャリアで最も有名なのは、カージナルス時代の1999年シーズンに記録した34本塁打、そして1イニングで2本の満塁ホームランを放ち、1イニング8打点というMLB記録を打ち立てたことだ。
ジュニアはまだ現役であり、今後さらにこのランキングで順位を上げる可能性を十分に秘めている。彼はMLB2年目でリーグMVP投票4位に入るなど、すでに若きスターとしての地位を確立した。2022年に禁止薬物の使用による出場停止処分を受けたものの、スピード、守備力、そして長打力を兼ね備えたリーグ屈指のユニークな選手であることに変わりはない。
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20. ゲイリー・マシューズ・シニアとゲイリー・マシューズ・ジュニア

ゲイリー・マシューズSr.(1972-87)
- チーム: サンフランシスコ・ジャイアンツ、アトランタ・ブレーブス、フィラデルフィア・フィリーズ、シカゴ・カブス、シアトル・マリナーズ
- 成績: 2033試合、2011安打、234本塁打、978打点、183盗塁、OPS.802、WAR30.4
- 受賞歴: 新人王、オールスター1回、チャンピオンシップMVP
ゲイリー・マシューズJr.(1999-2010)
- チーム: サンディエゴ・パドレス、シカゴ・カブス、ピッツバーグ・パイレーツ、ニューヨーク・メッツ、ボルチモア・オリオールズ、テキサス・レンジャーズ、ロサンゼルス・エンゼルス
- 成績: 1281試合、1056安打、108本塁打、484打点、95盗塁、OPS.737、WAR14.2
- 受賞歴: オールスター1回
カブスの歴史の中で、7組いる父子デュオの1組であるマシューズ親子は、ともに外野手として長いMLBキャリアを送った。どちらもオールスター出場経験があり、息子マシューズ・ジュニアが2006年にレンジャーズの一員としてオールスターに選出された際、彼と父はオールスターに出場した史上14組目の父子コンビとなった。
父マシューズは引退後、フィリーズの実況アナウンサーや、ブルージェイズ、カブスのコーチとしても活躍した。
一方、息子マシューズJr.は、パフォーマンス向上薬の使用疑惑で名指しされた「ミッチェル報告書」に名前が挙がったことでキャリアは複雑なものとなったが、それでもメジャーで11年間、安定した成績を残し、堅実なキャリアを築いた。
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19. クレイ・ベリンジャーとコディ・ベリンジャー

クレイ・ベリンジャー(1999-2002)
- チーム: ニューヨーク・ヤンキース、ロサンゼルス・エンゼルス
- 成績: 183試合、60安打、12本塁打、35打点、7盗塁、OPS.621、WAR-0.2
- 受賞歴: ワールドシリーズ優勝2回
コディ・ベリンジャー(2017年~現役)
- チーム: ロサンゼルス・ドジャース、シカゴ・カブス、ニューヨーク・ヤンキース
- 成績: 1157試合、1102安打、225本塁打、695打点、104盗塁、OPS.817、WAR30.4
- 受賞歴: MVP1回、新人王、オールスター2回、ワールドシリーズ優勝1回、ゴールドグラブ賞1回、シルバースラッガー賞2回、チャンピオンシップMVP1回
クレイ・ベリンジャーもコディ・ベリンジャーも、現時点では殿堂入り確実とまではいえないものの、特に息子コディにはその可能性がまだ十分に残されている。とはいえ、この父子が残してきた実績は決して軽視できない。
クレイのMLBキャリアは数年と短命だったが、1999年から2002年までという最高の時期にヤンキースに所属していた。当時のヤンキースは黄金期の真っ只中で、彼は控え選手ながら2度のワールドシリーズ優勝リングを手にしている。
一方、コディはこの父子デュオの評価を大きく押し上げている存在だ。全盛期にはMLB屈指の強打者として恐れられ、2019年には47本塁打を放ち、リーグMVPを受賞している。さらに2025年には、父の足跡をたどるようにコディもヤンキースのユニフォームに袖を通した。
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18. ティム・レインズ・シニアとティム・レインズ・ジュニア

ティム・レインズSr.(1979-2002)
- チーム: モントリオール・エクスポズ、シカゴ・ホワイトソックス、ニューヨーク・ヤンキース、オークランド・アスレチックス、ボルチモア・オリオールズ、フロリダ・マーリンズ
- 成績: 2502試合、2605安打、170本塁打、980打点、808盗塁、OPS.810、WAR69.5
- 受賞歴: 殿堂入り、オールスター7回、ワールドシリーズ優勝2回、シルバースラッガー賞1回、オールスターMVP1回
ティム・レインズJr.(2001-2004)
- チーム: ボルチモア・オリオールズ
- 成績: 75試合、34安打、本塁打0本、打点7、盗塁10、OPS.544、WAR0.2
- 受賞歴: なし
父レインズ・シニアの長く輝かしい殿堂入りキャリアが、この親子デュオを大きく支えている。野球メディア「Screwball」によると、このレインズ親子は通算出場試合数で歴代24位にランクインしている。
レインズSr.は、個人としてもチームとしても成功を収めた名外野手の一人で、MLB史上屈指のリードオフマン、そして走塁の名手としてその名を刻んでいる。息子ティム・ジュニアもまた、父と同じく両打ちのバッターだった。
また、この親子はMLB史上でも珍しく、同じ試合で共にプレイした父子デュオのひとつでもある。2001年10月4日、オリオールズの外野で父子そろって出場し、同一試合に出場した史上2組目の父子となった。
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17. トニー・ペレスとエドゥアルド・ペレス

トニー・ペレス(1964-1986)
- チーム: シンシナティ・レッズ、モントリオール・エクスポズ、ボストン・レッドソックス、フィラデルフィア・フィリーズ
- 成績: 2777試合、2732安打、379本塁打、1652打点、49盗塁、OPS.804、WAR53.9
- 受賞歴: 殿堂入り、オールスター7回、ワールドシリーズ優勝2回、オールスターMVP1回
エドゥアルド・ペレス (1993-2006)
- チーム: カリフォルニア・エンゼルス、セントルイス・カージナルス、タンパベイ・デビルレイズ、クリーブランド・インディアンス、シアトル・マリナーズ
- 成績: 754試合、445安打、79本塁打、294打点、19盗塁、OPS.757、WAR0.9
- 受賞歴: なし
「ビッグ・レッド・マシン」の愛称で圧倒的強さを誇った1970年代のレッズの一員として殿堂入りキャリアを築き、「ビッグ・ドッグ」の愛称で知られたトニー・ペレス。その引退からわずか7年後、息子エドゥアルドもメジャーの舞台に立つこととなった。
父トニーは、当時屈指の内野手として活躍し、ワールドシリーズ優勝2回を経験。2000年には殿堂入りを果たした。一方のエドゥアルドも長い現役生活を送り、引退後はMLBの著名な解説者としてその名を広めている。
16. ボビー・ウィットとボビー・ウィット・ジュニア

Bobby Witt Jr. During the ALDS playoffs. Mandatory Credit: Jay Biggerstaff-Imagn Images
ボビー・ウィット(1986-2001)
- チーム: テキサス・レンジャーズ、オークランド・アスレチックス、フロリダ・マーリンズ、セントルイス・カージナルス、タンパベイ・デビルレイズ、クリーブランド・インディアンス、アリゾナ・ダイヤモンドバックス
- 成績: 430試合、2465.0イニング、防御率4.83、142勝157敗、1955奪三振、14.7WAR
- 受賞歴: ワールドシリーズ優勝1回
ボビー・ウィットJr.(2022年~現役)
- チーム: カンザスシティ・ロイヤルズ
- 成績: 626試合、722安打、105本塁打、373打点、148盗塁、OPS.844、WAR21.7
- 受賞歴: オールスター2回、ゴールドグラブ賞1回、シルバースラッガー賞1回
父子で「投手と野手」という珍しい組み合わせのウィット親子。父ウィット・シニアはMLBで10年以上にわたり安定した先発投手として活躍し、息子ウィット・ジュニアは2020年代を代表する遊撃手の一人となっている。
ウィットSr.は2001年にダイヤモンドバックスでワールドシリーズ優勝を果たし、有終の美を飾って引退。一方のウィットJr.は、カンザスシティにタイトルをもたらせるかどうかはまだ分からないが、すでにMLB屈指の万能プレーヤーとして名を馳せている。彼は2023年と2024年に「30本塁打・30盗塁」を達成し、MLB史上初めて2度の「30–30」を記録した遊撃手となった。
15. マット・ホリデー、ジャクソン・ホリデー、イーサン・ホリデー

マット・ホリデー(2004-18)
- チーム: コロラド・ロッキーズ、オークランド・アスレチックス、セントルイス・カージナルス、ニューヨーク・ヤンキース
- 成績: 1903試合、2096安打、316本塁打、1220打点、108盗塁、OPS.889、WAR44.4
- 受賞歴: ワールドシリーズ優勝1回、オールスター7回、シルバースラッガー賞4回、チャンピオンシップMVP
ジャクソン・ホリデー(2024年~現役)
- チーム: ボルチモア・オリオールズ
- 成績: 209試合、178安打、22本塁打、78打点、21盗塁、OPS.659、WAR1.1
- 受賞歴: なし
イーサン・ホリデーはいずれ兄と父に続いて“野球一家のスター”に名を連ねるだろうが、マットとジャクソンの2人だけでもすでにMLB史上屈指の父子デュオとして十分な実績を残している。
外野手としてのMLBキャリアで、マット・ホリデーは7度のオールスター選出とワールドシリーズ制覇を経験。そして現在、彼の2人の息子も有望株として注目を集めている。中でも長男ジャクソンは、ボルティモア・オリオールズで将来のスター内野手候補として頭角を現しつつある。
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14. ダンテ・ビシェットとボー・ビシェット

ダンテ・ビシェット (1988-2001)
- チーム: カリフォルニア・エンゼルス、ミルウォーキー・ブルワーズ、コロラド・ロッキーズ、シンシナティ・レッズ、ボストン・レッドソックス
- 成績: 1704試合、1906安打、274本塁打、1141打点、152盗塁、OPS.835、WAR5.7
- 受賞歴: オールスター4回、シルバースラッガー賞1回
ボー・ビシェット (2019年~現役)
- チーム: トロント・ブルージェイズ
- 成績: 748試合、904安打、111本塁打、437打点、60盗塁、OPS.806、WAR20.8
- 受賞歴: オールスター2回
現在もブルージェイズで現役を続けるボー・ビシェットは、メジャー屈指の華麗な守備と美しいスイングを持つ内野手として、父のキャリアを早々に超える存在となった。もっとも、それは決して簡単なことではなかった。父ダンテは、1995年にリーグMVP投票で2位となり、外野手として4度のオールスター選出を誇る名選手だった。
さらに、ダンテはMLBでも限られた「30-30」クラブ入りを果たしており、長打力とスピードを兼ね備えた選手として知られている。そんな父の偉業を背に、ボー・ビシェットはいま、ビシェット家にワールドシリーズ制覇という新たな勲章を加えようとしている。
13. ハル・マクレーとブライアン・マクレー

ハル・マクレー(1968-87)
- チーム: シンシナティ・レッズ、カンザスシティ・ロイヤルズ
- 成績: 2084試合、2091安打、191本塁打、1097打点、109盗塁、OPS.805、WAR27.9
- 受賞歴: ワールドシリーズ優勝1回、オールスター3回、シルバースラッガー賞1回
ブライアン・マクレー(1990-1999)
- チーム: カンザスシティ・ロイヤルズ、シカゴ・カブス、ニューヨーク・メッツ、コロラド・ロッキーズ、トロント・ブルージェイズ
- 成績: 1354試合、1336安打、103本塁打、532打点、196盗塁、OPS.726、WAR14.3
- 受賞歴: なし
ハル・マクレーは、約20年にわたる長いMLBキャリアを送り、息子と同じチームでプレイできるほどの時期まで現役を続けた。実際には、父ハルはカンザスシティ・ロイヤルズの監督を務め、チームには息子ブライアンが在籍していた。これにより、ハルとブライアンは「父親が息子を監督する」というMLB史上4例目のケースとなった。
ブライアン・マクレーはポストシーズン進出こそ果たせなかったものの、センターとして約10年間にわたりメジャーで活躍した。
12. ヨギ・ベラとデール・ベラ

ヨギ・ベラ(1946-65)
- チーム: ニューヨーク・ヤンキース、ニューヨーク・メッツ
- 成績: 2120試合、2150安打、358本塁打、1430打点、30盗塁、OPS.830、WAR59.5
- 受賞歴: 殿堂入り、MVP3回、オールスター18回、ワールドシリーズ優勝10回
デール・ベラ(1977-87)
- チーム: ピッツバーグ・パイレーツ、ニューヨーク・ヤンキース、ヒューストン・アストロズ
- 成績: 853試合、603安打、49本塁打、278打点、32盗塁、OPS.638、WAR5.5
- 受賞歴: なし
ヨギ・ベラに多くの説明は必要ないだろう。彼は選手として10度のワールドシリーズ制覇を成し遂げた伝説的捕手であり、引退後は監督としても活躍。「ヨギ語録」で知られるユーモラスな名言の数々でも有名だ。
しかし、時に忘れられがちなのは、ヨギの息子デールもMLBでしっかりと道を切り開いたということだ。内野手として約10年間プレイしたデールは、有望なプロスペクトとして注目を浴びていた。そして1984年シーズン終了後、当時ヤンキースの監督を務めていた父ヨギのもとに、トレードで加入することになる。
だが翌1985年シーズン序盤にヨギが解任されたため、父子が「監督と選手」として共に過ごした期間はごく短いものとなった。
11. セシル・フィルダーとプリンス・フィルダー

セシル・フィルダー(1985-98)
- チーム: トロント・ブルージェイズ、デトロイト・タイガース、ニューヨーク・ヤンキース、アナハイム・エンゼルス、クリーブランド・インディアンス
- 成績: 1470試合、1313安打、319本塁打、1008打点、2盗塁、OPS.827、WAR17.2
- 受賞歴: オールスター3回、ワールドシリーズ優勝1回、シルバースラッガー賞2回
プリンス・フィルダー(2005-16)
- チーム: ミルウォーキー・ブルワーズ、デトロイト・タイガース、テキサス・レンジャーズ
- 成績: 1611試合、1645安打、319本塁打、1028打点、18盗塁、OPS.887、WAR23.6
- 受賞歴: オールスター6回、HRダービー優勝2回、シルバースラッガー3回、オールスターMVP1回
まさに、恐れられた強打者親子といえるだろう。セシル・フィルダーは13年のキャリアでいくつかのチームを渡り歩き、とくに1996年にはヤンキースでワールドシリーズ優勝を果たした。その数年後、息子プリンス・フィルダーがメジャーに登場し、リーグ屈指の打撃力を誇る選手として活躍した。
「フィルダー」という名字は、まるで野球界で成功する運命にあったかのようだ。父子ともに圧倒的なパワーを持ち、わずか一振りで試合の流れを変えることができた。そして、MLB史上でも珍しいことに、父セシルと息子プリンスはともに通算319本塁打でキャリアを終えている。
10. ホセ・クルーズとホセ・クルーズ・ジュニア

ホセ・クルーズ(1970-88)
- チーム: セントルイス・カージナルス、ヒューストン・アストロズ、ニューヨーク・ヤンキース
- 成績: 2353試合、2251安打、165本塁打、1077打点、317盗塁、OPS.774、WAR54.4
- 受賞歴: オールスター2回、シルバースラッガー2回
ホセ・クルーズJr.(1997-2008)
- チーム: シアトル・マリナーズ、トロント・ブルージェイズ、サンフランシスコ・ジャイアンツ、タンパベイ・デビルレイズ、アリゾナ・ダイヤモンドバックス、ボストン・レッドソックス、ロサンゼルス・ドジャース、サンディエゴ・パドレス、ヒューストン・アストロズ
- 成績: 1388試合、1167安打、204本塁打、624打点、113盗塁、OPS.783、WAR19.6
- 受賞歴: ゴールドグラブ賞1回
ホセ・クルーズ・シニアは、アストロズ球団史上屈指の名選手の一人であり、かつてはチームの通算最多安打記録保持者でもあった。6シーズンで打率.300超えを記録するなど、同世代でもトップクラスのアベレージヒッターとして知られている。
息子ホセ・クルーズ・ジュニアも、長年外野手としてプレイし、通算1000本以上のヒットを放った。引退後は大学野球の監督を務め、父シニアはアストロズの職員として球団に関わり続けている。
9. サンディ・アロマー、ロベルト・アロマー、サンディ・アロマー・ジュニア

サンディ・アロマー(1964-78)
- チーム: ミルウォーキー/アトランタ・ブレーブス、ニューヨーク・メッツ、シカゴ・ホワイトソックス、カリフォルニア・エンゼルス、ニューヨーク・ヤンキース、テキサス・レンジャーズ
- 成績: 1481試合、1168安打、13本塁打、282打点、227盗塁、OPS.578、WAR10.5
- 受賞歴: オールスター1回
ロベルト・アロマー(1988-2004)
- チーム: サンディエゴ・パドレス、トロント・ブルージェイズ、ボルチモア・オリオールズ、クリーブランド・インディアンス、ニューヨーク・メッツ、シカゴ・ホワイトソックス、アリゾナ・ダイヤモンドバックス
- 成績: 2379試合、2724安打、210本塁打、1134打点、474盗塁、OPS.814、WAR67.0
- 受賞歴: 殿堂入り、オールスター12回、ワールドシリーズ優勝2回、ゴールドグラブ賞10回、シルバースラッガー賞4回、チャンピオンシップMVP、オールスターMVP
サンディ・アロマー・ジュニア (1988-2007)
- チーム: サンディエゴ・パドレス、クリーブランド・インディアンス、シカゴ・ホワイトソックス、テキサス・レンジャーズ、ロサンゼルス・ドジャース、ニューヨーク・メッツ
- 成績: 1377試合、1236安打、112本塁打、588打点、25盗塁、OPS.716、WAR13.7
- 受賞歴: 新人王、オールスター6回、ゴールドグラブ賞1回、オールスターMVP
アロマー一家は、数十年にわたってMLBの舞台で活躍してきた野球一家だ。父親のサンディ・アロマー・シニアは、スイッチヒッターの二塁手として14年間プレイし、オールスターにも1度選出されている。
しかし、彼の2人の息子たちはさらに大きな成功を収めた。ロベルト・アロマーは史上最高の二塁手の一人と評される守備職人で、殿堂入りを果たしている。一方、兄のサンディ・アロマー・ジュニアは捕手として6度のオールスター選出を経験し、クリーブランド・ガーディアンズ(当時インディアンス)の球団殿堂にも名を刻んでいる。
8. ガス・ベル、バディ・ベル、デビッド・ベル

ガス・ベル (1950-64)
- チーム: ピッツバーグ・パイレーツ、シンシナティ・レッズ、ニューヨーク・メッツ、ミルウォーキー・ブレーブス
- 成績: 1741試合、1823安打、206本塁打、942打点、35盗塁、OPS.775、WAR15.6
- 受賞歴: オールスター4回
バディ・ベル (1972-89)
- チーム: クリーブランド・インディアンス、テキサス・レンジャーズ、シンシナティ・レッズ、ヒューストン・アストロズ
- 成績: 2405試合、2514安打、201本塁打、1106打点、55盗塁、OPS.747、WAR66.3
- 受賞歴: オールスター5回、ゴールドグラブ賞6回、シルバースラッガー賞1回
デビッド・ベル (1995-2006)
- チーム: クリーブランド・インディアンス、セントルイス・カージナルス、シアトル・マリナーズ、サンフランシスコ・ジャイアンツ、フィラデルフィア・フィリーズ、ミルウォーキー・ブルワーズ
- 成績: 1403試合、1239安打、123本塁打、589打点、19盗塁、OPS.716、WAR15.2
- 受賞歴: なし
ベル家は、MLBで3世代にわたってプレイしたわずか5家族のうちのひとつだ。ガス・ベルはレッズの球団殿堂入りメンバーであり、4度のオールスター選出を誇る。息子バディ・ベルは複数の球団でプレイし、通算2500本以上のヒットを記録。そして孫デビッド・ベルも内野の複数ポジションを守りながら、通算1000本以上のヒットを放った。
さらにベル家の野球の系譜を語る上で欠かせないのが、監督としての実績だ。バディはタイガース、ロッキーズ、ロイヤルズの監督を務め、デビッドも2019年から2024年までレッズを率いた。これにより、デビッドとバディはMLB史上5組目となる「親子監督」コンビとなった。
7. ティト・フランコーナとテリー・フランコーナ

ティト・フランコーナ(1954-1970)
- チーム: ボルチモア・オリオールズ、シカゴ・ホワイトソックス、クリーブランド・インディアンス、セントルイス・カージナルス、フィラデルフィア・フィリーズ、アトランタ・ブレーブス、オークランド・アスレチックス、ミルウォーキー・ブルワーズ
- 成績: 1719試合、1395安打、125本塁打、656打点、46盗塁、OPS.746、WAR13.9
- 受賞歴: オールスター1回
テリー・フランコーナ(1981-90)
- チーム: モントリオール・エクスポズ、シカゴ・カブス、シンシナティ・レッズ、クリーブランド・インディアンス、ミルウォーキー・ブルワーズ
- 成績: 707試合、474安打、16本塁打、143打点、12盗塁、OPS.652、WAR-3.0
- 受賞歴: 最優秀監督賞3回、ワールドシリーズ優勝2回
フランコーナ親子は、このリストにテリーは選手としての実績で入っているわけではない。父ティト・フランコーナは1950〜60年代に外野手・一塁手として長いMLBキャリアを送ったが、息子テリーは選手としては数年しかプレイせず、その後に伝説的な監督キャリアを築くこととなった。
現在では歴代最多勝監督の一人として名を連ねるテリー・フランコーナは、2球団をワールドシリーズ制覇へ導いた。父の足跡を継ぎ、同じく「ティト(Tito)」の愛称を受け継いだ彼は、やがて史上屈指の名将としてその名を残している。
6.レイ・ブーン、ボブ・ブーン、ブレット・ブーン、アーロン・ブーン

レイ・ブーン(1948-60)
- チーム: クリーブランド・インディアンス、デトロイト・タイガース、シカゴ・ホワイトソックス、カンザスシティ・アスレチックス、ミルウォーキー・ブレーブス、ボストン・レッドソックス
- 成績: 1373試合、1260安打、151本塁打、737打点、21盗塁、OPS.789、WAR25.8
- 受賞歴: オールスター2回、ワールドシリーズ優勝1回
ボブ・ブーン(1972-1990)
- チーム: フィラデルフィア・フィリーズ、カリフォルニア・エンゼルス、カンザスシティ・ロイヤルズ
- 成績: 2264試合、1838安打、105本塁打、826打点、38盗塁、OPS.661、WAR27.4
- 受賞歴: オールスター4回、ワールドシリーズ優勝1回、ゴールドグラブ賞7回
ブレット・ブーン(1992-2005)
- チーム: シアトル・マリナーズ、シンシナティ・レッズ、アトランタ・ブレーブス、サンディエゴ・パドレス、ミネソタ・ツインズ
- 成績: 1780試合、1775安打、252本塁打、1021打点、94盗塁、OPS.767、WAR22.8
- 受賞歴: オールスター3回、ゴールドグラブ賞4回、シルバースラッガー賞2回
アーロン・ブーン(1997-2009)
- チーム: シンシナティ・レッズ、ニューヨーク・ヤンキース、クリーブランド・インディアンス、フロリダ・マーリンズ、ワシントン・ナショナルズ、ヒューストン・アストロズ
- 成績: 1152試合、1017安打、126本塁打、555打点、107盗塁、OPS.751、WAR13.6
- 受賞歴: オールスター1回
MLBで3世代にわたって活躍したもうひとつの名門一家が、ブーン家だ。彼らはリーグ史に多くの足跡を残し、なんと4人全員が一度はオールスター出場を果たしている。
レイ・ブーンは第二次世界大戦中に海軍で従軍した後、選手として2度のオールスター出場を経験。その息子ボブ・ブーンは長年キャッチャーとして活躍し、4度のオールスター出場を果たしたのち監督にも転身した。
さらにボブの息子たち、ブレット・ブーンとアーロン・ブーンも共に内野手としてMLBでプレイした。ブレットは二塁手として3度のオールスターに選ばれ、アーロンはヤンキース史に残る劇的な本塁打を放った後、のちにそのヤンキースで監督を務めることとなった。
5. メル・ストットルマイヤーとトッド・ストットルマイヤー

メル・ストットルマイヤー(1964-74)
- チーム: ニューヨーク・ヤンキース
- 成績: 360試合、2661.1イニング、防御率2.97、1257奪三振、164勝139敗、WAR40.7
- 受賞歴: オールスター5回
トッド・ストットルマイヤー(1988-2002)
- チーム: トロント・ブルージェイズ、オークランド・アスレチックス、セントルイス・カージナルス、テキサス・レンジャーズ、アリゾナ・カージナルス
- 成績: 372試合、2191.2イニング、防御率4.28、1587奪三振、138勝121敗、WAR21.0
- 受賞歴: ワールドシリーズ優勝2回
このリストの中で唯一の親子そろって投手のコンビが、ストットルマイヤー親子であり、それぞれの時代で優れた先発投手として活躍した。
父メルは10年のキャリアのうち半分の5シーズンでオールスターに選出されるなど、ヤンキースを代表するエースとして知られた。一方の息子トッドは、1992年と1993年のブルージェイズ世界一チームの一員としてプレイした。
また、父メルは引退後にコーチとしても成功し、主に1990年代後半のヤンキースで5度のワールドシリーズ優勝を経験。さらにトッドの兄であるメル・ジュニアも1年間MLBでプレイした後、同じくコーチとして野球界に関わり続けている。
4.ブラディミール・ゲレーロ・シニアとブラディミール・ゲレーロ・ジュニア

ブラディミール・ゲレーロSr. (1996-2011)
- チーム: モントリオール・エクスポズ、ロサンゼルス・エンゼルス、テキサス・レンジャーズ、ボルチモア・オリオールズ
- 成績: 2147試合、2590安打、449本塁打、1496打点、181盗塁、OPS.931、WAR59.5
- 受賞歴: 殿堂入り、MVP1回、オールスター9回、HRダービー優勝1回、シルバースラッガー賞8回
ブラディミール・ゲレーロJr.(2019年~現役)
- チーム: トロント・ブルージェイズ
- 成績: 975試合、1077安打、183本塁打、591打点、26盗塁、OPS.861、WAR25.8
- 受賞歴: オールスター5回、HRダービー優勝1回、ゴールドグラブ賞1回、シルバースラッガー賞2回、チャンピオンシップMVP、オールスターMVP1回
ブラディミール・ゲレーロ親子は、それぞれの世代で最高クラスのスイングを持つ打者として知られている。
外野手兼DHとして活躍した父ブラディミール・ゲレーロ・シニアは、巧打と長打の両方を兼ね備えた打撃で2010年代を代表する華のある選手の一人となり、やがて殿堂入り選手としてその名を残した。
そして現在、息子ブラディミール・ゲレーロ・ジュニアもその足跡を辿っている。ブルージェイズのトッププロスペクトとして注目を集め、いまやチームのスター選手に成長した。
このゲレーロ親子は、MLB史上わずか2組しかいない「親子そろってシーズン40本塁打」を記録したコンビであり、さらに親子ともにホームランダービー優勝という偉業も成し遂げている。
関連記事:1シーズンのポストシーズンにおけるMLB最多安打記録は?|ブルージェイズのブラディミール・ゲレロJr.が歴代2位に
3. フェリペ・アルーとマウス・アルー

フェリペ・アルー(1958-74)
- チーム: サンフランシスコ・ジャイアンツ、ミルウォーキー/アトランタ・ブレーブス、オークランド・アスレチックス、ニューヨーク・ヤンキース、モントリオール・エクスポズ
- 成績: 2082試合、2101安打、206本塁打、852打点、107盗塁、OPS.761、WAR42.3
- 受賞歴: オールスター3回、最優秀監督賞1回
モイセス・アルー(1990-2008)
- チーム: ピッツバーグ・パイレーツ、モントリオール・エクスポズ、フロリダ・マーリンズ、ヒューストン・アストロズ、シカゴ・カブス、サンフランシスコ・ジャイアンツ、ニューヨーク・メッツ
- 成績: 1942試合、2134安打、332本塁打、1287打点、106盗塁、OPS.885、WAR39.9
- 受賞歴: オールスター6回、ワールドシリーズ優勝1回、シルバースラッガー賞2回
フェリペ・アルーはMLB史上特異な存在で、定期的に出場した最初のドミニカ人選手となった。また、マティ・アルーとヘスス・アルーという兄弟もMLB選手だった。やがてカナダ野球殿堂入りを果たし、通算2000安打以上を記録。さらにエクスポズ(現ナショナルズ)とジャイアンツの監督も務めた。
一方、モイセス・アルーは打撃で知られる選手で、6度のオールスター出場経験がある。1997年にはワールドシリーズ優勝を果たしたマーリンズの一員でもあった。
2. ケン・グリフィー・シニアとケン・グリフィー・ジュニア

ケン・グリフィーSr.(1973-91)
- チーム: シンシナティ・レッズ、ニューヨーク・ヤンキース、アトランタ・ブレーブス、シアトル・マリナーズ
- 成績: 2097試合、2143安打、152本塁打、859打点、200盗塁、OPS.790、WAR34.6
- 受賞歴: オールスター3回、ワールドシリーズ優勝2回、オールスターMVP1回
ケン・グリフィーJr.(1989-2010)
- チーム: シアトル・マリナーズ、シンシナティ・レッズ、シカゴ・ホワイトソックス
- 成績: 2671試合、2781安打、630本塁打、1836打点、184盗塁、OPS.907、WAR83.8
- 受賞歴: 殿堂入り、MVP1回、オールスター13回、HRダービー優勝3回、ゴールドグラブ賞10回、シルバースラッガー賞7回、オールスターMVP1回
グリフィー父子は、あらゆるスポーツ史上最も有名な父子コンビとして語られることもある。グリフィー・シニアはそれ自体で優れた選手で、3度のオールスター出場を果たし、レッズで2度の優勝を経験した。しかし息子は、最終的に野球史上10〜15本の指に入る選手と評価されるまでのキャリアを築いた。
『ザ・キッド』ことグリフィー・ジュニアは1990年代に登場し、守備でも打撃でも圧倒的な存在感を示し、通算600本以上のホームランを記録した。さらに1990年と1991年に父子でプレイした象徴的な瞬間や、1990年9月の連続ホームランなど、父子コンビとしての輝かしい瞬間は他と比べようがない。
1. ボビー・ボンズとバリー・ボンズ

ボビー・ボンズ(1968-81)
- チーム: サンフランシスコ・ジャイアンツ、ニューヨーク・ヤンキース、カリフォルニア・エンゼルス、シカゴ・ホワイトソックス、テキサス・レンジャーズ、クリーブランド・インディアンス、セントルイス・カージナルス、シカゴ・カブス
- 成績: 1849試合、1886安打、332本塁打、1024打点、461盗塁、OPS.824、WAR57.9
- 受賞歴: オールスター3回、ゴールドグラブ賞3回、オールスターMVP1回
バリー・ボンズ(1986-2007)
- チーム: ピッツバーグ・パイレーツ、サンフランシスコ・ジャイアンツ
- 成績: 2986試合、2935安打、762本塁打、1996打点、514盗塁、OPS 1.051、WAR 162.8
- 受賞歴: MVP7回、オールスター14回、HRダービー優勝1回、ゴールドグラブ賞8回、シルバースラッガー賞12回
ジャイアンツの歴史をボンズ家抜きで語ろうとするのは不可能だ。功績の観点から見ても、バリーがそのほとんどを担ったかどうかは別として、史上最高の父子コンビであることは議論の余地が少ない。
もちろん、バリー・ボンズは禁止薬物使用疑惑によって確実な殿堂入りキャリアに傷がついた。しかし純粋な数字だけで見れば、彼は間違いなく史上最高の打者の一人だ。ある意味、父ボビーのキャリアをもかすませてしまった。ボビーは3度のオールスター出場と300本以上のホームラン、400盗塁以上を記録している。
ボビーとバリーは、MLB史上屈指のパワーとスピードを兼ね備えた選手だった。そして偶然にも、彼らは親子だったのだ。
原文:21 best father-son duos in MLB history, ranked from Bobby and Barry Bonds to Vladimir Guerrero Sr. And Vlady Jr.
抄訳:佐藤瑞紀(スポーティングニュース日本版)
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