■元ロッテ内野手・角晃多氏、東海大相模時代に言及
偉大な父の存在も重圧にはならなかった。元ロッテ内野手の角晃多氏はプロ野球独立リーグ、ルートインBCリーグの埼玉武蔵ヒートベアーズで球団社長を務めて5年目を迎えている。父は巨人のリリーフエースとして活躍した角盈男氏。晃多氏は東海大学付属相模高校時代、父の背中を追い、プロ野球選手を目指して汗を流していた。
父は現役時代に新人王や最優秀救援投手のタイトルを獲得。著名なプロ野球選手であったが気負うことなく野球に取り組めたのは、高校の野球部のチーム状況にあったという。
1学年上には菅野智之(オリオールズからFA)や田中広輔(前広島)、同学年には大田泰示(巨人-日本ハム-DeNA)らそうそうたる選手がそろい「周りに力があるメンバーがいっぱいいたので、普通の感じでした」と振り返った。
プロ入りを目指すレベルの高い選手が集まり、切磋琢磨する日々。大田泰示を含めたチームメートはライバルではあったが関係性は良好で「ギスギスした感じもないし、必要以上の関与もしない。今でも何かあれば連絡しますし、いい感じの距離感です」と説明した。
「皆さんが思うような『角盈男の息子だから』みたいなプレッシャーは、もしかしたら他の高校に行っていたらあったかもしれません。でも環境的に、突出することはそんなになかったんです。だから高校に感謝です」
3学年上の長男・一晃も東海大相模でプレー。晃多氏は「もしかしたら兄はそういうプレッシャーがあったのかもしれません」と指摘する。兄の背中を見て学んだ部分もあり「『こういう感じになるのか。じゃあこういう感じでやろう』という感じでした。次男なので、いい感じで“せこい”んです。私は自由にやらせてもらっていました」と当時を思い起こした。
■「プロになるためにはどうしたらいいか」
一方で、プレー以外での重圧はあったそうだ。「やっぱり、格好悪いことはできないですよね」というように、野球を含めた取り組み方への姿勢を問われてしまうのは仕方がないところ。「そういう意味では、負けん気はあったと思います」と力に変えて臨んでいたのだ。
中学までは父から技術的な助言も受けていたが「野球への向き合い方なんかは言われたことはないですね」という。勤勉さが認められていた証である。
東海大相模では入学直後に右膝を手術し、本格的に試合に出始めたのは2年生の夏の神奈川大会。その時点では高校通算1本塁打だったが、秋に新チームが発足すると、中軸打者として1年間で35本塁打を量産した。
父の存在に加え、強豪校で主力で活躍すると、周囲がプロ入りを期待するのは自然の流れである。ドラフト候補に名前が挙がっても「プレッシャーはなくて、父のようになろうというぐらいの感じでした」と回顧する。
「両親からはプロになってほしい気持ちは伝わっていました。でも、あまり失敗することは考えないで、プロになるためにはどうしたらいいかしか考えていませんでしたね」
身長168センチと野球選手としては小柄な体を目いっぱい使ってプレーした高校時代。その目は常に、父が活躍したプロの舞台を見据えていた。
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