■夏の甲子園優勝時の主将・後藤貴司氏、高校時代を振り返る
2006年夏の甲子園はエース斎藤佑樹を擁する早稲田実業高(西東京)が、3連覇を狙った田中将大(巨人)を擁する駒澤大学附属苫小牧高(南北海道)を破って初優勝。延長15回引き分けを経て再試合となった決勝戦の激闘は、高校野球史に残る名シーンの1つで、今も語り草となっている。
投手の主役は青いタオルハンカチを使用して“ハンカチ王子フィーバー”を巻き起こした斎藤。野手の中心は「4番・遊撃」を務め、主将としてチームをけん引した後藤貴司氏だった。後藤氏は早大、日本製紙石巻でもプレーを続け、社会人野球3年目のオフに現役引退。現在は外資系の大手生命保険会社に勤めている。甲子園優勝から来年で20年。節目を迎える前に、早実時代を振り返った。
後藤氏は早実入学直後の1年春からベンチ入り。夏の西東京大会では試合にも出場した。早くから主力となり2年秋、新チームの主将に就任。和泉実監督からの指名だった。
「例年、下級生の時からベンチに入っている主力の選手が主将になるケースが多かったので、可能性はあるかなと思っていました。『よしっ』ていうより『大変だ』という感じでしたね」
部員80人前後の大所帯。まとめるのは簡単ではない。
「肩書として僕がキャプテンになりましたけど、最初のミーティングで、みんなで力を合わせてチームを引っ張っていこうという話をしました。全員が高い意識を持てば、絶対に甲子園に出られると思っていました」
肩肘を張らずに、周囲と協力しながらチームを鼓舞した。
秋の東京大会を制して選抜切符を獲得。明治神宮大会では準決勝で駒大苫小牧と対戦した。その時の衝撃が忘れられない。早実は4回までに3点をリード。だが、4回途中から登板した田中に完全に勢いを止められ、3-5と逆転負けを喫した。
チームは田中からわずか2安打。5回2/3で13三振を喫したのである。
「とにかく田中将大は凄かったですね。見たこともない球ばかり。スライダーなんか三塁方向から曲がってくる感覚でした」
田中は同年夏の甲子園優勝投手。早実の各打者はほとんど打球を前に飛ばせず、完敗だった。
■大きかった秋の対戦と春の経験…最高の舞台で雪辱
ただ、その経験はチームにとってプラスに作用。
「全国レベルのチームと試合をしたことで、残像をイメージして、そこを目指していけば上のレベルに近づいていく。それは大きかったです」
どうすれば日本一がつかめるか、少しだけ見えてきていた。
迎えた選抜甲子園。「僕個人としては初めての憧れの甲子園。キャッチボールの時に足が震えました。チーム自体は委縮することはなかったですけど、最初の試合はどこかプレーが硬かった感じがありました」。
北海道栄との1回戦に7-0と快勝すると、関西との2回戦は7-7で延長15回引き分け。再試合を4-3で制したが、準々決勝で横浜に敗れた。
引き分けを含めて4試合を戦った経験は夏につながる。西東京大会を勝ち抜いて春夏連続で甲子園出場。「春の経験もあって冷静に戦えた」という夏の甲子園は投打がかみ合って危なげなく勝ち上がった。
鶴崎工との1回戦は13-1、大阪桐蔭との2回戦は11-2、福井商との3回戦も7-1と圧勝して春に続いてベスト8に進出。日大山形との準々決勝は8回に逆転して5-2、鹿児島工との準決勝は後藤氏の3ランなどで5-0と快勝し決勝戦に駒を進めた。
駒大苫小牧との決勝は1-1で延長15回引き分け。選抜でも引き分け再試合を経験していることで慌てることはなかった。前年の秋は手も足も出なかった田中にも「一冬越えて僕らも成長してますし、田中が調子が良くなかったこともありますけど、ある程度、球も見ることができました」とチーム一丸で対応。後藤氏の適時打もあり、再試合を4-3で制した。
もちろん、エース斎藤の存在は大きく「絶対的なエースの斎藤を中心に守りは安定していました」と振り返る。「失点を最小限に抑えて、どんな相手とも戦えるというのがあったからこそ、どんどん攻めに転じることができたんです」。投打がかみ合った夏だった。
秋と春の全国舞台での経験とそれまでの努力が結実。最高の舞台で駒大苫小牧への雪辱を果たし、夏は初の日本一を成し遂げたのである。
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