グレッグ・ポポビッチは歴代ヘッドコーチランキングで何位なのか?

Stephen Noh

小野春稀 Haruki Ono

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NBAは選手のリーグであり、コーチは最優秀コーチ賞や優勝を勝ち取っても数年で解雇されることがある。今や数年以上コーチを続けることができるのは、殿堂入りクラスのコーチだけなのかもしれない。

継続性は、先日引退したグレッグ・ポポビッチの優秀さを示す多くの尺度の一つに過ぎない。スパーズの指揮官としての29年間で、彼が挙げた2,291勝を上回るのは、歴代でもレニー・ウィルケンズとドン・ネルソンだけだ。

ミッチ・ジョンソンにヘッドコーチの座を譲ることを決めた時点で、ポポビッチはリーグで最も長く在籍したヘッドコーチだった。彼の経歴は物語っている。彼はスパーズ・バスケットボールが収めてきた数々の成功の象徴だ。

ポップが彼の世代で最高のコーチだったことは疑う余地がない。3度のNBA最優秀コーチ賞受賞は、彼を評価するのに十分でない。彼は多くのトレンドを先取りし、在任期間の大半はリーグ最高の戦術家と見なされていた。では、歴史に名を残すコーチたちの中で、彼はどのように評価されているのだろうか?

歴代ヘッドコーチランキング

Gregg Popovich San Antonio Spurs
(NBA Entertainment)

1. グレッグ・ポポビッチ

通算成績::2291勝1422敗 (勝率62.1%)

優勝::5回

ポップはコーチ界のレブロン・ジェームズであり、NBAで指揮をとった誰よりも偉大なキャリアを過ごした。

彼が紛れもないGOATである理由は、彼がかなりの長い間優秀だったからである。

 1998年から2019年まで22年連続でプレーオフに出場した彼のように、1つのチームで22年連続でプレーオフに出場した監督は他にいないだろう。その間、彼のチームは18年連続で50勝以上を挙げた。彼はキャリアを通じてレギュラーシーズン1,422勝を達成したが、これはおそらく破られることのないNBA記録だ。 

ポポビッチは、デビッド・ロビンソン、ティム・ダンカン、カワイ・レナード、デマー・デローザン、ビクター・ウェンバンヤマなど、さまざまなスターをうまく操り、成功を収めた。彼はチームにアンセルフィッシュなプレーをさせ、世界中で評価される美しいバスケットボールのスタイルを作り上げた。

ポポビッチにはスーパースターがいた。ティム・ダンカンはスパーズ時代に2度のMVPを獲得した。しかし、マイケル・ジョーダン、コービー・ブライアント、シャック、ビル・ラッセルのような選手はいなかった。彼はとにかく5つのリングを獲得し、マヌ・ジノビリのような選手にチーム第一のプレーをさせた。ポップがベンチからダイヤモンドの原石を見つけることも多かった。

ポポビッチは熱心な研究者だった。彼はヨーロッパの最高の選手とコーチを招き、国際的な戦術をNBAに取り入れた。彼は誰よりも早くコーナー3の価値を認めていた。彼は戦略的な適応力という点でずっと先を行っており、チームがそのタレントレベル以上のパフォーマンスを発揮できるようにしていた。

ポップは偉大な指導者であり、人格者であった。彼の寛大さについての話は伝説となっている。彼は5年間空軍に所属し、政治的にも積極的に発言した。

ポップは、リーグの他の多くのコーチのキャリアの手助けをした。現コーチのイメ・ウドカ、スティーブ・カー、ドック・リバース、ウィル・ハーディ、クイン・スナイダーはみな、スパーズで彼と一緒に働いた。エリック・スポールストラとジャマール・モズリーはUSAバスケットボールで彼の下で働き、彼はヘッドコーチとして2020年に金メダルを獲得した。彼の伝説はリーグで生き続けている。

2. フィル・ジャクソン

通算成績: 1640勝1155敗 (勝率70.4%)

優勝: 11回

6連覇、11年間で9回の優勝に異論を唱えるのは不可能だ。ジャクソンはブルズとレイカーズで3度の3連覇を達成し、90年代と2000年代前半を席巻した。2009年と2010年にもコービー・ブライアントとパウ・ガソルを擁して2回優勝している。

ジョー・マズーラ(74%)とデビッド・アデルマン(3戦無敗)は、ジャクソンよりレギュラーシーズンの勝率が高い唯一のコーチだ。ジャクソンのように、彼らが20年以上それを維持できるのか見届けよう。

ジョーダン、コービー、シャックのようなスーパースターたちに恵まれたと、ジャクソンを非難する人々は言うだろう。彼らが否定できないのは、彼が大きなエゴを誰よりもうまく管理することに成功したということだ。

禅師(ジャクソンは禅に傾倒していた)の最大の才能は、優秀な長年のアシスタントであったテックス・ウィンターとジョニー・バッハを信頼したこと、スター選手のやる気を引き出す方法を知っていたことだ。彼は必ずしも最高の戦術家ではなかった。というのも彼は3ポイントの価値を認めず、相手のコーナー3PTを許した。ニックスの重役になってからは、バスケットボールのトレンドは、さらに彼を追い越していった。

旧態依然とした戦術ではあったが、彼はケミストリーを重視しチームの力を最大限に引き出した。そして、彼は多くの勝利を収めた。

3. レッド・アワーバック

通算成績: 938勝481敗(勝率66.1%)

優勝:9回

コーチ・オブ・ザ・イヤーのトロフィーに自分の名前を冠するには、相当な実力者でなければならない。アワーバックの受賞は一度だけだが、彼は10年間で8年連続を含む9回の優勝を果たした。彼が指揮を執るセルティックスには、誰も歯が立たなかった。

アワーバックの偉大さに疑問の余地はない。彼が今このリストのトップでないのは、単にポポビッチが9年間彼をコーチングキャリアで上回り、ジャクソンがさらに2つのタイトルを獲得したからだ。

Pat Riley Lakers Magic Johnson
Getty Images

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4. パット・ライリー

通算成績:1210勝694敗 (勝率63.6%)

優勝:5回

ライリーは、NBAヘッドコーチ就任1年目からレイカーズを4度目の優勝に導いた。マジック・ジョンソンとカリーム・アブドゥル・ジャバーを中心とした"ショータイム"レイカーズを指揮した。

ライリーは、後によりフィジカルなスタイルのニックスで勝利を収め、異なるスタイルのコーチングができることを示した。彼はニューヨークを一度だけファイナルに導き、その間にジャクソン率いるブルズと素晴らしいライバル関係を築いた。彼は2006年にヒートでタイトルを獲得し、監督としてのキャリアを閉じた。

ライリーはアワーバック・トロフィーを3度獲得しており、これはポポビッチとネルソンに並んで歴代1位である。彼は3つの異なるチームでそれを達成した唯一のコーチである。

ライリーを特徴付けているのは、コーチ史上最も奇想天外なモチベーターであったことだ。チームを励ますために、氷水の入ったバケツに頭を突っ込んで気を失いかけたこともあった。

5. スティーブ・カー

通算成績: 567勝308敗 (勝率64.8%)

優勝:4回

マーク・ジャクソンから引き継いだウォリアーズを王朝に育て上げたカーは、に優勝を果たし、5年連続でファイナルに進出した。プレーオフでの勝率70.3%は、ジョー・マズーラ、マーク・デイグノートに次いで歴代3位だ。

カーは常に最高の戦術家だった。彼3PTの価値とスモールボールの可能性を誰よりも早く見抜いていた。こうした傾向は今やリーグ全体に普及している。

カーはステフィン・カリーとクレイ・トンプソンを中心に完璧なシステムを設計し、シューターたちに自由を与え、互いにスクリーンを飛び交わせることができるようにした。

彼はまた、ポポビッチとジャクソンの下で働き、両コーチの長所を自分の哲学に融合させるなど、上の世代からも学んでいる。

カーはこのリストの中では最下位だが、最も若い。彼はまだ上を目指すのに十分な時間が残されている。

他の候補者: エリック・スポールストラ、 ラリー・ブラウン、 チャック・デイリー、レッド・ホルツマン、K.C.ジョーンズ、ジャック・ラムジー、ジェリー・スローン、レニー・ウィルケンズ、ドン・ネルソン

原文:Where does Gregg Popovich rank among greatest head coaches in NBA?

抄訳:小野春稀(スポーティングニュース日本版)

Stephen Noh

Stephen Noh started writing about the NBA as one of the first members of The Athletic in 2016. He covered the Chicago Bulls, both through big outlets and independent newsletters, for six years before joining The Sporting News in 2022. Stephen is also an avid poker player and wrote for PokerNews while covering the World Series of Poker from 2006-2008.

小野春稀 Haruki Ono

スポーティングニュース日本版アシスタントエディター。大学生。元はスポーティングニュースのNBAニュースを毎日楽しみにしていた読者であったが、今では縁あってライターとして活動している。小学生の時にカイリー・アービングのドリブルに魅了されNBAの虜に。その影響で中高6年間はバスケに熱中した。主にNBAの記事を執筆している。