NBAファイナル進出のサンダーの歴史を振り返る なぜシアトルからオクラホマシティへ移転したのか?

Dan Treacy

小野春稀 Haruki Ono

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サンダーはオクラホマシティでの時間の大半をコンテンダーとして過ごし、移転後17シーズンで40勝を下回ったのは3回だけだった。

シアトルの多くのNBAファンにとっては、それは"盗まれた成功"だろう。オクラホマシティに旗を立てる前、フランチャイズはスーパーソニックスとしてシアトルで忠実なファンベースを築いた。

2008年の新天地への移転は、長い物語の集大成であったが、多くの点で驚くほど早かった。2008年6月には、ラッセル・ウェストブルックがソニックスにドラフト指名された。わずか4か月後の10月には、NBAはシアトルから完全に撤退していた。

2008年、サンダーがシアトルからオクラホマシティに移転するまでの物語を振り返っていこう。

なぜソニックスはシアトルを離れたのか?

ソニックスのシアトルでの将来は、スターバックスのCEOハワード・シュルツが売却を意図してチームのオーナーになって以降不安定だった。シュルツがシアトルに新アリーナ建設かキー・アリーナ(現クライメイト・プレッジ・アリーナ)の大規模改修を財政支援するよう働きかけたが失敗に終わり、シュルツは2006年、クレイ・ベネット率いるオクラホマシティのグループにフランチャイズを売却した。

この売却には、ベネットのグループがアリーナ問題について1年間努力し、ソニックスをシアトルに残す努力をする約束も含まれていたが、その約束は実現しなかった。シアトルの有権者もまた、アリーナに公的資金が使われることを阻止するイニシアチブに投票した。しかし、多くの人々は、ベネットは常にソニックスの移転を計画していたと信じており、後にその主張を裏付ける証拠が出てきた。

2000年代のソニックスを取り巻く環境は不透明で、チームとしての結果や成功も不十分だったため、アリーナの改築費用を捻出するのに十分な収益を上げるのに苦労した。ベネットは2007年末、フランチャイズをオクラホマシティに移転する計画を発表。ソニックスをシアトルに残すための交渉が続き、法廷闘争のためにオクラホマシティへの正式移転は遅れたが、ソニックスは2008年7月2日に正式にオクラホマシティに移転し、後にサンダーという名称になった。

クレイ・ベネットはどんな人物?

ベネットは2006年にシュルツからフランチャイズを買収して以来、サンダーのマジョリティオーナーを務めている。

ソニックスを買収する前は、ベネットはスパーズでマイノリティ・オーナーを務め、ハリケーン・カトリーナに伴う、ニューオーリンズ・ホーネッツの一時的なオクラホマシティへの移転に関わった実業家グループのリーダーだった。この出来事をきっかけに、ベネットのグループはNBAをオクラホマシティに恒久的に誘致することに興味を示すようになった。

ベネットはシアトルでは悪役のように見られているが、サンダーがオクラホマシティに移転して以来、NBAで最もうまく運営されている組織の1つを率いてきた。

2010年代後半にはがんの治療を受け、2017年には脳の手術を受けるなど、長年にわたって健康問題と戦ってきたベネットだが、2025年にサンダーがウェスタンカンファレンス優勝を祝った際には、選手とともに表彰台に登った。

キー・アリーナの問題

シュルツが新しいアリーナか改築のための資金調達を始めたころ、キー・アリーナの収容人数は17,000人強とNBAのアリーナの中で最も小さかった。長年にわたって改修は行われていたものの、1962年にオープンしたこのアリーナには、NBAチームが長期的に存続するためには改装が必要だった。

ソニックスは2000年代に財政難に陥り、シアトルの別の場所に新しいアリーナを建設する、あるいは改装する費用を捻出することが難しく、シアトルがアリーナに公的資金を支出することに消極的だったことも、シュルツの計画の妨げになっていた。

現在もキー・アリーナはクライメート・プレッジ・アリーナと名を変えて残っており、NHLのシアトル・クラーケンとWNBAのシアトル・ストームの本拠地となっている。シアトルは2018年にNHLのフランチャイズを誘致する一方で7億ドルの改修計画を承認し、クラーケンが2021年にプレーを開始するまでの3年間をアリーナの改修に費やした。

このアリーナは、NBAの新たなフランチャイズをこの街に誘致することを期待して、収容人数を18,300人に拡大し、2025年のNCAAトーナメントの試合を含む大学バスケットボールの試合も開催している。

移転を巡る法廷闘争

シュルツもシアトルも、フランチャイズの移転を阻止するために法的努力を開始した。シアトルは、ソニックスが2010年以前にキー・アリーナの賃借契約を破棄するのを阻止するため、ソニックスを訴えた。

この訴訟は2008年に審議され始めたが、裁判官が判決を下す数時間前に、両者は賃借契約に関する和解に達した。この合意の一部として、ソニックスはシアトルに契約破棄のための4500万ドルと、シアトルが5年以内に代替チームを確保できなかった場合の追加3000万ドルを支払った。

一方シュルツは、ベネットのグループが当初からチームをオクラホマシティに移転させるつもりであったことが分かる電子メールの存在が明らかになったため、フランチャイズ売却を覆すべく訴訟を起こした。しかし、契約の一環として、ベネットは12ヶ月間、アリーナ契約とシアトルでのソニックス存続のために 「誠意ある 」努力をすることが求められていた。

シュルツは、サンダーがすでにオクラホマシティへの移転を承認された後の2008年8月、訴訟を取り下げた。

ソニックスはいつシアトルを離れたのか?

2007-08シーズン終了後、サンダーは正式にシアトルを去った。

2006年にシュルツがベネットにフランチャイズを売却したときから本格的に始まったこの移転は、長い歳月を経て実現した。2007年10月に誠意ある努力の猶予期間が終わると、ベネットはフランチャイズをオクラホマシティに移転する意向を表明し、法廷闘争を経て2008年に正式に移転が決まった。2008年10月、サンダーは初めてオクラホマシティに本拠地を移した。

なぜオクラホマシティが選ばれたのか?

シュルツは、NBAチームを持たない数多くの都市と話をした。ベネットの投資家グループは、ハリケーン・カトリーナの後、ニューオーリンズ・ホーネッツを一時的にこの街に誘致する手助けをしたことがあり、この経験は、オクラホマシティがフルタイムでNBAチームを引き受ける用意があることの証明となった。

2002年にオープンしたペイコム・センター(当時はフォード・センター)は、ホーネッツを2シーズン迎え入れたことでNBAチームを収容できることを証明した。

過去にニューオーリンズ・ホーネッツを迎えた経験、NBAチームを迎えられるアリーナの存在がオクラホマシティが選ばれた要因だ。

移転に対する反応

ソニックスが売却され、移転したときにシアトル市長を務めていたグレッグ・ニッケルズは2016年、チームが売却されたその日にシアトルからフランチャイズが消滅することを予感していたと語った。

「オクラホマシティに売却されたその日から、フランチャイズは消滅したんだ」とニッケルズ氏は語った。「市、州、郡は何とかしようと多くの努力をしたが、新しいオーナー(ベネット)がチームをシアトルから移転させようとしていたのは明らかだった」

一方、シュルツは2019年、ソニックスの売却はビジネスマンとして「最大の後悔」のひとつだと語った。「地元の買い手が現れるまで、私は損を覚悟でチームを運営するべきだった」とシュルツは語った。「永遠に後悔している」

2008年のシアトルとオーナーグループとの訴訟裁判の際、3000人のソニックスファンが裁判所の前に集まり、ベネットの移転計画に抗議した。ファンは移転を軽んじることはなかったし、シアトルのファンは何年も経った今日でも、サンダーに対して複雑な感情を抱いていると言っても過言ではないのかもしれない。

シアトルは新しいNBAチームを迎えるのか?

NBAコミッショナーのアダム・シルバーは、30チームから31または32チームへの拡張に前向きであることを明らかにし、2025年にはシアトルが候補地のリストのトップであると述べた。

「具体的なスケジュールを公に発表する準備が整っていないということは、NBAがシアトルに戻ってくる可能性を軽視しているということではない」とシルバーは3月の記者会見で語った。

シルバーは、地域スポーツネットワークに関する懸念をまず解決すべき問題の1つとして挙げ、詳細なタイムテーブルを提示してはいないが、シアトルはラスベガスと並んで新フランチャイズの筆頭候補であり、改装されたクライメイト・プレッジ・アリーナでNBAチームを受け入れる準備は整っているだろう。NBAバスケットボールがシアトルに戻ってくる日は近いようだが、その"Xデー"はまだわからない。

原文:Why did the Thunder leave Seattle? Revisiting the Sonics' 2008 relocation to Oklahoma City

抄訳:小野春稀(スポーティングニュース日本版)

Dan Treacy

Dan Treacy is a content producer for Sporting News, joining in 2022 after graduating from Boston University. He founded @allsportsnews on Instagram in 2012 and has written for Lineups and Yardbarker.

小野春稀 Haruki Ono

スポーティングニュース日本版アシスタントエディター。大学生。元はスポーティングニュースのNBAニュースを毎日楽しみにしていた読者であったが、今では縁あってライターとして活動している。小学生の時にカイリー・アービングのドリブルに魅了されNBAの虜に。その影響で中高6年間はバスケに熱中した。主にNBAの記事を執筆している。