増えつつあるアジア系NBA選手 彼らが切り開く次世代のための道筋とは?

Stephen Noh

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"リンサニティ" が一大センセーションを巻き起こしたとき、ジョニー・ジューザンは10歳だった。夢のような2か月間で、ジェレミー・リンは、アジア系アメリカ人のバスケットボール選手が最高レベルで成功できることを、ジューザンをはじめとする多くの人々に示した。


あれから11年が過ぎ、ジューザンは新しい世代の選手たちのために同じ役割を担っている。

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ジューザンは、ドラフト外のルーキーとして(ユタ・ジャズで)わずか232分しか出場しなかったこともあり、ユタ州以外ではまだそれほど知られていないかもしれないが、ベトナムではカルト的な人気を誇っている。ジューザンは、リンが登場する以前は「バスケットボール選手で、(アジア人の)ロールモデルとする人があまりいなかった」と話す。

NBAにおけるアジア人選手の数はまだ少ないが、その数は徐々に増えている。ジューザンと同じジャズのチームメイトのジョーダン・クラークソン、オクラホマシティ・サンダーのビッグマンのジェイリン・ウィリアムズ、ヒューストン・ロケッツのガードのジェイレン・グリーン、トロント・ラプターズのウィングのロン・ハーパーJr.、そして、日本生まれの八村塁と渡邊雄太がアジア人の血を引いている。

田臥勇太やヤオ・ミン、ハ・スンジンなどの選手たちは、1990年代から2000年代にかけて、 アジア人NBA選手のための扉を開いた。今日では、この新しい世代がその扉をさらに大きく広げようとしている。

ジョニー・ジューザン

ジューザンはベトナム人とのハーフだ。彼の母親はベトナム戦争中、3歳で祖父母と一緒にアメリカに渡ってきた。彼女はジュザンの父のマキシーと出会い、ロサンゼルスに定住し、そこでジョニー(ジューザン)はロサンゼルス・レイカーズでプレーするクラークソンを見た。

ベトナムの文化の影響を受けて育ったジューザンは、ベトナム料理に関しては「おばあちゃんは本当に見事な腕前なんだ」と誇らしげに語る。バスケットボールの家系で、兄のクリスチャンはベトナムでプロ選手として活躍している。

しかし、ジョニーがベトナム人コミュニティで支持されていることに気づき始めたのはキャリアの後半になってからである。

Johnny Juzang
(Getty Images)

「コミュニティが常に支持してくれていて、彼らはとても誇りに思ってくれているんだ」と、ジューザンは『The Sporting News』に語った。

「ベトナムやほかのすべての様々なアジアの人々がね。その子どもたちに会ったりすると、それが大人であっても、感動するよ」

「自分の歩んできた道や、自分がやってきたことが、彼らにどれだけの勇気を与えているかを知ることができる。若い子どもたちが、自分に何ができるのか、何が可能なのかを考えるときに、僕が影響を与えることができるんだ。そのことが、僕にとっては最高に素晴らしいことのひとつだよ」

ジェイリン・ウィリアムズ

ジェイリン・ウィリアムズの話は、似ている点もあれば、違う点もある。ジューザンと同じく、ウィリアムズもベトナムから渡ってきた祖母と母のもとで育ったが、アーカンソー州で育った彼がベトナム人コミュニティと触れる機会は少なかった。

彼は、母方でベトナム語が話されているのを聞いたり、ベトナム料理を食べたりするのが好きだったが、「僕はそれほどベトナムの影響を受けて育ったわけではない」という。

状況が変わったのは、彼がアーカンソー大学へ進学したときだ。1年生のときにチームはエリート8に進出し、最後の2試合をサンフランシスコのチェイス・センターで戦った。

「ベトナム人コミュニティから僕が受けたサポートは、ほかの誰からよりも大きかった」とウィリアムズは言う。

「サンフランシスコでプレイしていたとき、そこには大きなアジア人コミュニティがあって、チームメイトと一緒に歩いていたり、スウィート16でプレイしていたりすると、いつでも認識されていたんだ。ドラフトの後には、たくさんのベトナムやアジアの人たちからダイレクトメッセージをもらった。たくさんの有名なアジアの人たちが、「おめでとう」とDMを送ってくれたんだ。とてもクールだったよ」

「正直言って驚いたね。その時点で、自分がサポートされているとは知っていたけど、あそこまでのサポートは異常なくらいだった。あんなに多くの人が僕のことを知っていて、僕のしていることを尊敬したり、すごいと思ったりしてくれているとは知らなかったんだ」

ウィリアムズとジューザンは、ドラフトプロセスの前はお互いのことを知らなかったが、シカゴで開催された2022年のNBAドラフトコンバインの最中に共有のルーツでつながった。ジューザンは、「サポートとプライドを感じることがどれほど素晴らしいことか」と話す。

「たくさんの異なるベトナムのメディアが、僕たちのことを常に一緒に取り上げるんだ」と、ジューザンは言う。

「そのことを一番最初に話したよ。この愛を感じているか?って」

ジェイレン・グリーンとジョーダン・クラークソン

Jalen Green
(Getty Images)

フィリピン人とのハーフであるロケッツの2年目ガードのジャイレン・グリーンも、サポートの高まりを感じている。彼は、家族の故郷のフィリピンを3度訪れている。

「彼らは僕のために全面の壁画を作ってくれたんだ」と、グリーンは話す。

「それだけでも多くを物語っている。フィリピンに行くたびに、どこに行ってもファンがいるんだ。彼らが僕のことを知っていて、僕の名前がフィリピンのあちこちで結びついているなんてとてもクレイジーだよ」

母親がフィリピン人のクラークソンは、地域のファンの間でも人気がある選手だ。彼は、心臓の上の部分にフィリピン人の祖母のタトゥーを入れている。オールスター・ウィークエンド中に記者団に対し、自分が受け継いだものを誇りに感じ、「常に身にまとっているんだ」と語った。

しかし、それだけのサポートがあれば、良いロールモデルにならなければならないというプレッシャーも加わる。

「もちろん、彼らに対して責任があるという認識をより強く感じているよ」と、ウィリアムズは言う。

「みんなが僕の一挙手一投足を見ているんだ。でも、正直なところ、僕にとってはとてもクールなことだよ」

ジューザンは、プレッシャーに悩まされることはないという。むしろ、アジアの血を引く子供たちにとってNBAを目指すという目標が達成可能であることを示すというポジティブな要素に重点を置いている。

「若い子どもたちからは、『自分にもできるんだ』と気づかせてもらったというDMがたくさん届くんだ」と、ジューザンは言う。

「そういうメッセージが一番心に響くよ。僕がやっていることすべてにもっと大きな目的があって、僕を尊敬してくれる人たちがいるってことだからね」

原文:How Jalen Green, Jaylin Williams and Johnny Juzang are creating pathway for players of Asian descent
翻訳:YOKO B Twitter:@yoko_okc

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Stephen Noh

Stephen Noh started writing about the NBA as one of the first members of The Athletic in 2016. He covered the Chicago Bulls, both through big outlets and independent newsletters, for six years before joining The Sporting News in 2022. Stephen is also an avid poker player and wrote for PokerNews while covering the World Series of Poker from 2006-2008.